酢(ビネガー)のお勉強
「お酒」に興味はあっても、「酢」には関心がない方も多いのではないかと思います。少なくとも筆者はそうでした。普段は料理をすることもない人にとっては、直接触れることの少ない調味料です。餃子屋さんには置いてあるお店もあるようですが、ソースや醤油のように頻繁に使用することもないです。しかし、海外、特に欧州では、ワイン(葡萄)から作られた酢(ワインビネガー)の使用量が多いです。日本の食卓の醤油と同じように、バルサミコ酢を日常的に使用するイタリアなど、欧州では食卓にワインビネガーが置いてある国も多いようです。ただ、日本の「酢」と同じ米(日本酒)を原料とした「米酢」ではないようです。「酢」の漢字を見て、部首が両方とも「酉(ひよみのとり)」で同じであることから、おそらく関係があるのだろうと思い、「酒」と「酢」の関係を調べてみました。結論は、「酒のある所には食酢あり」とも言われるように、お酒の数だけお酢があるようです。
「酢」の漢字の意味
「酒」は、「偏(へん)」が「氵、水、三水、さんずい」で、「旁(つくり)」が「酉(日読みのとり)」です。「酢」は、「偏(へん)」が「酉(日読みのとり)」で、「旁(つくり)」が「乍(作る、つくる、さく)」です。共通している部首の「酉(ひよみのとり)」は、干支の酉(とり)と同じで、十二支の10番目になります。干支は、古くは時刻や方角を示す際に使われてきました。「酉の刻」は、午後5時~午後7時ごろを指します。太陽が沈みかけて、夕ご飯や晩酌の時間です。方角は「西」になります。十二支と動物の関係はないようです。十二支はもともと植物の成長を十二段階に表したものです。最初の「子(ね)」は、これから成長しようとする種子の状態を表しています。最後の「亥(い)」は、収穫された作物がみんなに行き渡った状態もしくは植物の生命力が種の中に閉じ込められた状態を表しています。一巡した後、最初の「子」に戻るという自然のサイクルを表現しています。ただ、そのままの漢字では覚えにくいこともあり、より覚えやすくするために、後づけで馴染みのある動物を十二支にあてはめたとされています。「酉(ひよみのとり)」は、完熟した植物の収穫を表しています。また、「酉」という漢字は、「酒を造る壷、酒壺」の象形文字です。「酉」が司る旧暦の8月(葉月)は、現在の9月頃で、秋の気配を感じる中秋の名月の頃です。中秋の名月は旧暦の8月15日ですが、現在の暦では、9月から10月頃で、2023年は9月29日、2024年は9月17日のように、その年によって異なります。同様に、旧正月の元日は現在よりも少し後にくる感じで、およそ1月21日~2月20日の間になります。米などの収穫がはじまり、これから来る冬に向けてお酒を造る季節にあたるため、「酉」という漢字をあてたという説が有力です。余談ですが、サントリーのサントリーウイスキーローヤルのあの独創的な、他のどんなウイスキーにも似ない瓶の形は、漢字の「酒」のつくりの部分、「酉」をかたどっています。また、微妙なカーブを描く栓は、山崎蒸溜所の奥にある神社の鳥居にちなんだものです。40年経った今も世界の人々に愛され続けているこのボトルデザインは、まさに鳥井信治郎の傑作ウイスキーにぴったりの意匠といえるでしょう。よって、「酒」は、「さんずいへん(水、液体の意)」に「酉」で、「酒壺の水」が語源になります。「酢」は、「酉」に「乍」で、「酒から作られた調味料」を表すようになりました。
余談(暦と二十四節気)
よこみちにそれてしまいますが、日本では、暦が伝わった7世紀頃から、明治5年(1872)まで日本で使われていた暦は「太陰太陽暦(たいいんたいようれき)」または「太陰暦」、「陰暦」「天保歴=天保壬寅元暦(てんぽうじんいんげんれき)」と呼ばれる暦でした。明治維新(1868年)によって樹立された明治政府は、西洋の制度を導入して近代化を進めました。 その中で、暦についても欧米との統一をはかり、明治5年(1872年)11月、太陽暦(グレゴリオ暦、新暦)への改暦を発表しました。 これによって明治6年(1873年)から、太陰太陽暦(旧暦)に替わり現在使われている太陽暦(新暦)が採用されました。一般的には、「旧暦」とは「太陰太陽暦」を指す場合が多いです。太陰太陽暦とは、月の満ち欠けで日を数えることが暦のベースとなっており、原則として、朔(さく、新月)となる日をその月の一日(ついたち)として日付を数えます。よって、三日月は3日、満月は15日(十五夜)といった具合に、日付と月の満ち欠けに対する呼び名が一致します。月の満ち欠けで日を数えつつ、うるう月を挿入することで1年の長さを1太陽年に近づけた暦が太陰太陽暦です。月の満ち欠けが基本になるので、うるう月を挿入するという1か月単位で調整することになります。平均的には季節とのズレはありませんが、個々の月ごとに見れば季節との間に∓15日ほどのズレが生じます。よって、太陰太陽暦では1年は約354日になりますが、太陽暦は365日(閏年の366日は4年に1回)なので、太陰太陽暦では1年が11日短くなります。太陰とは天体の月のことです。「太陰太陽暦」は1ヶ月を天体の月が満ち欠けする周期(朔望、朔は新月、望は満月)に合わせます。天体の月が地球をまわる周期は約29.5日なので、30日と29日の長さの月を作って調節し、30日の月を「大の月」、29日の月を「小の月」と呼んでいました。一方で、地球が太陽のまわりをまわる周期は約365.24日で、季節はそれによって移り変わります。大小の月の繰り返しでは、しだいに暦と季節が合わなくなってきます。そのため、2~3年に1度は閏月(うるうづき)を設けて13ヶ月ある年を作り、季節と暦を調節しました。毎年、次の年の暦を計算して決定するので大小の月の並び方も毎年替わりました。更に詳しいことは割愛しますが、このような暦の違いによって、現在の暦では、中秋の名月や旧正月の月日がずれてくるということです。
現在の暦が使用されるようになったのは明治6年1月1日からで、この日はそれまで使用されていた天保暦(太陰太陽暦)では、明治5年12月3日に当たります。よって、明治5年の12月は1日と2日の2日間しかありませんでした。
この改暦が正式に決定されたのは、明治5年11月9日のことです。「太政官布告(第337号)」という法律によってです。 法律の公布から、実際の改暦までの期間が1ヶ月もないという慌ただしさです。年末ですので、既に翌年の暦は印刷されていましたが、この法律によって既に印刷されていた暦は、紙屑になってしまいました。
明治の改暦は突然で、十分な検討もされないまま施行されましたので、多くの誤りや問題点をのこしていました。そこまでして明治新政府が改暦を行った理由には、深刻な財政問題があったといわれています。というのは、従来の暦では翌明治6年は閏年で、閏月が入るため1年が13ヶ月あることになっていました。既に役人の給与を年棒制から月給制に改めた後なので、明治6年には13回、給与を支払わなければなりません。これは、財政難であった明治新政府にとって悩みの種でした。その上、太陽暦に切り替えることによって、明治5年の12月は2日しかありませんので、この月の月給は支払わないこととすれば、明治5年分の給与も1月分減らせる、正に一石二鳥の改暦だったわけです。
二十四節気
ついでに、近年、人気のある厚岸ウイスキーに、「二十四節気」シリーズがありますので、「二十四節気」についても触れておきます。実は、サントリーウイスキーの「響」のボトルの24面カットも、この「二十四節気」を意味しています。1日24時間、1年24節気という意味合いがあり、日本の四季を幾度も繰り返し、長い時間をかけて熟成した「響」の時を表現しています。旧暦は、閏月を入れることによって暦と実際の季節の関係を調整していましたが、それにしても、閏年の前と後では、同じ月日でも30日近く季節が異なってしまいます。これでは暦を元にして農業などを行うわけにはいかなくなってしまいます。そのため、暦の中に季節を表すものを入れて、この不都合を防ごうとしました。これが二十四節気です。
二十四節気(にじゅうしせっき)とは、中国の戦国時代の頃(紀元前4世紀)に発明され、四季・気候などの視点で地球上の一年を仕分ける方法で、太陰暦の季節からのずれとは無関係に、季節を春夏秋冬の4等区分する暦のようなものとして考案された区分手法のひとつで、一年を12の「節気」(正節とも)と12の「中気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられています。1太陽年を日数(平気法)あるいは太陽の黄道上の視位置(定気法)によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したものです。
二十四節気は、現在の私たちにも未だ馴染みの深い、国民の休日や、天気予報でも耳にすることのある、立春、春分、夏至、立秋、秋分、立冬、冬至、大寒など、全部で24あります。二十四節気は、太陽が一年で一回りする道筋(黄道)を24等分(太陽黄経の15度毎)し、太陽がこの点を通過する日時によって決まります(定気法)。このため、二十四節気が暦に記されていれば、そこから季節を知ることが出来ます。そして、これを元に農作物を作っていたことになります。二十四節気カレンダーもあります。
カレンダーには、六曜(先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口)が記載されたものも多いですが、これは、農業や季節とは関係なく、現代の日本では、日にちの吉凶を占う指標として利用されています。六曜はもともと中国で「時間」を区切る際に使われていた考え方で、日本に伝承された当初も時間の吉凶を占う指標として用いられていました。時間を占うものとして使用されていた時代は、太陽が昇ってから落ちるまでと夜が始まってから終わるまでをそれぞれ3つ、計6つの時間帯に分け、それぞれに六曜があてはめられていたといいます。六曜の「曜」とは星を表した漢字で、星は金(きん=お金)をイメージさせることから、六曜は賭け事のタイミングを決める際によく利用されていました。その後、明治時代の暦改正により、現代のような「日」の吉凶を占う指標として利用されるようになります。六曜はその日に「やってはいけないこと」を考えるための指標です。六曜には「日」と「時間」の考え方があり、それぞれの六曜には、「日」としての吉凶に加え、一日の時間帯の中での吉凶も存在します。「日」としては吉でも、一日の「時間」では凶の時間帯が存在することもあります。基本的に「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」の順番でカレンダーに並びますが、時々「大安」の次にまた「大安」が来るなど、不規則的な順序になっていることがあります。この理由は、旧暦の1日にあてはまる六曜が決まっているためです。旧暦1月1日と7月1日は「先勝」、2月1日と8月1日は「友引」という風に、前日にどんな六曜が来ていても、旧暦1日になると強制的にリセットされるような仕組みになっています。そしてまた、旧暦1日から決まった順序で六曜が並んでいくというわけです。
酢の製造方法と種類
「酢」の製造方法は、簡単にいうと、アルコールを酢(酢酸)に変換できる酢酸菌を醸造酒に作用させることです。正確には、もっと難しいのでしょうが、ざっくりしたイメージはそんな感じです。酢酸菌は、常在菌として広く自然界に存在し、天然には糖や植物性の炭水化物が酵母により醗酵してエタノールが生成しているような場所に存在しています。花の蜜や傷ついた果実などからも単離されます。また、低温殺菌・濾過滅菌していない、作りたてのリンゴのシードルやビールにもよくみられます。酢酸菌は好気性を持つため、そのような液体においては表面に膜を作る形で成長します。ワインなどの比較的アルコール度数の低い酒に酢酸菌が作用すると酢ができます。世界で最古のお酢は紀元前5,000年頃のバビロニアでつくられたと考えられています。この時代、人々は干しぶどうやナツメヤシなどからお酒をつくっていたという記録があり、同じ頃お酢も誕生したといわれています。人類の祖先が果物や穀物を蓄えている間にアルコールができ、さらに自然の酢酸菌が作用して偶然誕生したのが、お酢の起源って感じです。まさに人類の歴史とともにあった調味料といえます。醸造酒と酢の関係のイメージは、ワイン(フランス)からはワインビネガー、ビールからはモルトビネガー(麦芽酢)、日本酒からは米酢が、シードル(林檎酒)からはリンゴ酢って感じです。有名なバルサミコ酢(芳香のある酢、の意)は、北イタリアのモデナ地方が発祥の千年以上前から作られている白ワイン(白ぶどう果汁)から作られたイタリア産のワインビネガーのイメージです。正確には、バルサミコ酢は、濃縮した果汁を木樽で長期熟成させる伝統的な製法である点など、ワインビネガーとは作り方も熟成期間も違うようです。よって、伝統製法で作られたバルサミコは非常に高価です。その点は、ウイスキーやワインとも通ずる部分があります。一般的なスーパーで売られているものは、工場で大量生産され、伝統的な製法で作られたものに味や色を近づけるために着色料や甘味料などを加えて作られています。ウイスキーやワインと同様、伝統的な製法で、時間をかけて作ったものは美味しいのかもしれません。モルトビネガーは、日本では馴染みがありませんが、世界では広く愛されている調味料です。 アメリカではポテトサラダなどに使うマヨネーズに、フランスやイタリアでは料理のソースに使われています。日本よりも、古来からビールが発展していた欧米などの地域に多いのかもしれません。ちなみに、酢酸菌が活動するには、アルコール度数7%以下でなければなりません。アルコール度数40%以上ある、ウイスキーでは酢酸菌はおろか、菌の活動は無理です。
酢の歴史
最も古い記録では、紀元前5,000年ごろのバビロニアでビネガーが醸造されていたという記録があるそうです。バビロニアは、現代のイラク南部、ティグリス川とユーフラテス川下流の沖積平野一帯を指す歴史地理的領域です。バビロニアでは、デーツ(ナツメヤシ)の酒や干しぶどうの酒、ビールなどからビネガーを醸造していました。旧約聖書「モーセ五書」のモーゼの言葉を記したものの中に、ビネガーという言葉があります。「ルツ記2章14節」の中にも、麦畑で働いているルツが姑によく仕えるのを感謝され、金持ちの親類であるボアズから、ビネガーで作ったおいしくて、冷たい飲み物をもらう話があります。新約聖書「ヨハネによる福音書」にもビネガーのことが書かれています。 その他、ギリシャの歴史家ヘロドトス(BC484~424年)、哲学者アリストテレス(BC384~322年)などがビネガーのことを書いており、医者のヒポクラテス(BC約460~375年)は回復期の病人への酢卵の効用を述べています。詳しくは割愛しますが、中国や日本でも古くから使用されていたようです。
酢のことを英語でビネガー「Vinegar」といいますが、その語源はフランス語のビネーグル(vinaigre)です。「vin」はワイン、「aigre」は酸っぱいという意味で、ワインが酸っぱくなったものが酢であることが分かります。中国や日本では酢のことを昔は「苦酒(くしゅ、からさけ、にがさけ)」とも呼んでいました。酒が酸っぱくなってしまったことから由来する言葉で、ビネーグル(vinaigre)と同じく酢が酒からできていたことが分かります。このように、「酢」は、「お酒」と共に、人類の歴史や伝統、文化にとって密接なものであったことが分かります。
酢と健康について
昔から酢には、実に多くの健康効果があるといわれています。 殺菌力、防腐力、食欲増進作用などはよく知られ、古くから活用されてきました。 そして近年ではこれに加えてさまざまな力があることが研究でわかってきています。お酢に期待できる健康効果は、「食後血糖値の上昇抑制」、「体脂肪・内臓脂肪の減少」、「血圧低下作用、疲労回復」などであるといわれています。エビデンスやメカニズムも徐々に解明されてきているようです。また、身体に悪いものが、人間の歴史と共に発展することも考えにくいので、塩分や糖分、添加物を多く含む加工食品を回避するだけでも効果的だろうと思います。ただ、何でもそうですが、過剰摂取ではなく、適度な量を心がける必要があります。効果を得るためには1日あたり15mL(大さじ1杯)程度を継続して摂取する必要があるといわれています。
ビネガーソーダ
当店では、ノンアルコールカクテル、アペリティフでビネガーソーダも入れ替わりでご提供します。「酢」を飲むというと「リンゴ酢」は、2018年頃から流行り、現在でも一部の愛好家の方の間では人気が継続しているようですが、廃れてしまった部分もあるようです。その理由は、健康に悪い、美味しくない、など人それぞれかと思います。ただ、再度見直されている点もあるようです。人間の歴史の中において、失われずに、最古の調味料として現代まで残っているという点に着目すると、その良さの恩恵を受けていないのかもしれません。歴史的にも、流行り廃りではなく、本当に良いものは後世にも生き残っていくものだと思います。近年の酢の製造方法は、製造コストを抑えるために、機械化が進み、強制的に発酵させる通気発酵法が多いようです。古来からの伝統的な製法は静置発酵法です。静置発酵法は、発酵の期間が長く、じっくりと熟成するため、酸味に加えコクや旨みのあるお酢に仕上がります。通気法は、酸味がやや強く、淡白ですっきりした味に仕上がります。味については、人それぞれの好みがありますので、どちらが美味しいかは断定できません。ただ、当店では、酢の歴史や伝統、文化も大切にしたいと考えていますので、出来る限り歴史と伝統と文化のある商品をご提供したいと考えています。ワインビネガーについては、スペイン産のワインビネガーを使用します。ワインで有名な「カベルネ・ソーヴィニョン」「シャルドネ」、酒精強化ワインの「ポート」などから造られた本場老舗ののワインビネガーを取り寄せています。モルトビネガー(麦芽酢)は、本場イギリスで最も親しまれているモルトビネガーを使用します。イギリスでは、伝統的にフィッシュ&チップスにたっぷりとモルトビネガーをかけるのが定番だそうです。日本人の味覚に合うかは微妙のようです。日本の「酢」からは、大変な時間と手間をかけて造る静置発酵法により造られた「酢」を取り寄せています。リンゴ酢やいちご酢などの果実酢も各種ありますが、日本酒の酒蔵の造った「高級赤酢」も使用しています。「赤酢」は、江戸前寿司の赤シャリで使用される酢です。普通の白酢は米から造られますが、赤酢は酒粕から造られます。
これらの本場の「酢」を素材の風味が分かるソーダ(炭酸割り)でご提供します。入れ替わりで、各種ご提供いたします。
バルサミコ(酢)
正直、筆者は、バルサミコ(酢)が美味しいと感じたことがないので、なぜ、歴史と伝統があるのかを調べてみました。バルサミコ酢の歴史はモデナの公爵エステ家の歴史でもあります。バルサミコ酢は、モデナ一帯を治めた貴族の名家エステ家が作っていたため、非常に限られた貴族だけが味わうことができ、一般人や小作農には無縁のものだったと言われます。この、バルサミコ酢は18世紀中ごろ、エステ家の文書に記載されていたと言われ、近隣諸国の戴冠式などの贈り物といて送られていたということもあり、この時代の最高級の贈り物と考えられています。エステ家はバルサミコ酢の作り方を公開しないようにされました。18世紀末にはナポレオンがイタリア侵攻でエステ家が追われてしまったため、バルサミコの樽を裕福な商人など違う階級が買取り、この頃から製造方法も一般に広まったと言われます。ゆえにエステ家の領地、モデナとレッジョ・エミリアでつくられたものしか「伝統的なバルサミコ(=トラディツィオナーレ・バルサミコ)を名乗ることはできません。エステ家は、イタリアの有力な貴族の家系のひとつで、イタリアのローマ郊外のティヴォリにある世界遺産「ティヴォリのエステ家別荘」で有名です。もとは質素だったベネディクト派の修道院が16世紀頃に豪華な別荘へと改築され、500以上もの噴水を有する美しい庭園が人々を魅了しています。エステ家は、11世紀に始まる家系で、もともとモデナ一帯を治めた貴族の名家です。16世紀末にはモデナを首都としたモデナ公国の公爵となるほど力を持っていました。18世紀中ごろ、そのエステ家の文書に、初めて「バルサミコ」という表現が表れました。それ以前からバルサミコに似たものの記述は見つかっていたものの、これが歴史上初めて「バルサミコ」という言葉が確認できる記録です。
そして18世紀末にはこのエステ公爵家から「アチェート・バルサミコ」はオーストリア皇帝の戴冠式に贈り物として送られており、この頃にはまさしく最高級の贈り物であったことがわかります。現在バルサミコ酢が『侯爵の酢』と表現される由縁も、このモデナ公爵エステ家にちなんでいるのです。イタリア語で「アチェート」は「酢」、「バルサミコ」は「芳香」、「トラディツィオナーレ」は「伝統」という意味です。
バルサミコ酢とは、Aceto Balsamico (アチェト・バルサミコ:バルサミコ酢)と呼ばれます。基本的には、2種類のバルサミコ酢があり、Aceto Balsamico(アチェト・バルサミコ:バルサミコ酢)とAceto Balsamic Tradizionale(アチェト・バルサミコ・トラディツィオナーレ:伝統的バルサミコ酢)という種類です。伝統的バルサミコ酢は、伝統的な製法に基づき、12年以上という時間をかけて熟成させたバルサミコ酢のことを指します。伝統的な製法に基づいて生産されたものの、熟成期間が短かった製品に対してバルサミコ酢の商品名を使用することが可能となります。その他、熟成されていないブドウ酢を主体に着色料‧香料‧カラメルなどを添加して生産されている商品は正確にはバルサミコ酢ではなく、擬似食品です。本物のバルサミコ酢の味を守るため、原産地の保護を目的に、DOPやIGPが定めた商品規定があります。歴史のあるモデナのバルサミコですが、冒頭にも記載したように市場に流通しはじた当時は、注目されているのにもかかわらず、生産される量が圧倒的に少なく、なかなか手に入らない商品でした。あまりにも手に入らないため、最終的には「偽造されたバルサミコ酢」が世界中に出回ってしまったと言われます。
DOPの称号は、熟成させる期間が、伝統的バルサミコ酢と同様12年もしくは25年と期間が長いため、伝統的な製造方法を使用し、製造コストを抑えつつ、おいしいバルサミコ酢をつくる方法をモデナのバルサミコ酢の生産業者達が各自研究がされました。1950年ごろ、時間と手間を省いた一般消費用のバルサミコ酢の製法が確立されはじめ、「伝統的でないけれど、ニセモノでもないモデナのバルサミコ酢(Aceto Balsamico)」が市場に並ぶようになります。この時代には各社がオリジナルの製法でバルサミコ酢を作っていたため、品質も味もまばらでした。イタリア語のDenominazione di Origine Protetta(保護指定原産地表示あるいは原産地名称保護)の略語で、IGPよりも狭い町や村の特産品であることを証明するマークです。赤色と黄色の太陽のようなマークが目印です。
IGP(地域生産ラベル)、ヨーロッパの各地域にある重要な特産物を保護するためにEUが定める規格です。モデナのバルサミコ酢生産者たちは、モデナのバルサミコ酢のブランドイメージを汚さないため、2009年にバルサミコ酢としての品質と独特の風味を保証する細かなルールを作り、その製法に基づいた製法と風味を持ち得たバルサミコ酢のみ「IGP」として認定されることになりました。IGPは熟成期間が短いため、ぶどうの糖度や酸味をチェックしながら、加熱の具合など熟成させるに最も適した濃度に煮詰めていくことが大切と言われます。イタリア語のIndicazione Geografica Protetta(保護指定地域表示あるいは地理的表示保護と)の略語で、州のようなやや広い地域の特産品認証です。青色と黄色の太陽のようなマークが目印です。
DOPのブランドには、マルピーギ社、クラウディオ・ビアンカルディ社、ポンテヴェッキオ社、ラ・セキア社、アチェタイア・カゼッリ社、マニカルディ社、フェラリーニ社、アチェタイア・ヴィッラ・サン・ドンニーノ社などがあります。
味醂、薬用養命酒
酢と同じように家庭の台所には、「みりん、味醂」があります。現在では、調味料のイメージしかありませんが、「みりん(味醂・味淋・味霖)」は、日本料理の調味料や飲用に供される、アルコール度数が14パーセント前後で、エキス分を比較的多く含んだお酒です。味醂は、常温常圧において、甘味を有した有色の液体という性状をしています。日本酒との違いは、味醂は、製造過程においてアルコール発酵の過程がないことと、味醂には「もち米」が原料として使用されることです。日本酒は、一般的な食用米は使用せずに、酒米(酒造好適米)をアルコール発酵させて造ります。日本酒に限らず、お酒を造る際には、酵母(真菌類、微生物)の働きによる、「糖を分解してアルコール(エタノール)と二酸化炭素を生成する」、いわゆるアルコール発酵というプロセスが必要になります。日本酒だけではなく、ワインやビールのアルコール発酵も同様です。味醂の基本的な製法は、蒸したもち米に米麹を混ぜ、焼酎または醸造アルコールを加えて、60日間ほど室温近辺で熟成した物を、圧搾し、濾過する手順を踏みます。1940年代の日本では大衆の酒として、味醂は親しまれていました。その後、日本では、1950年代以降に清酒やビール、ウイスキーが普及するにつれて、飲用を目的とした味醂の消費は消えていった一方で、調味料として味醂の使用が増加しました。味醂は、約40~50%の糖分と、約14%のエタノールを含有しています。製造方法が異なるアルコール度数1%未満である「みりん風調味料」と区別するため、通常の味醂は「本みりん」と呼称されます。ただし、原料の蒸米については、もち米だけである必要はなく、うるち米を混ぜていても「本みりん」を名乗ることが出来ます。味醂の色調には歴史的な変遷が見られ、古くは褐色をしていました。しかし、製法の変化により色が淡い褐色になったため、色の薄い味醂を、白みりんと呼ぶ場合があります。また、飲用にするためさらに焼酎を加え、エタノールの濃度を高めた味醂は、江戸前では「本直し」(ほんなおし)、または「直し」(なおし)、関西では「柳蔭」(やなぎかげ)と呼ばれることもあります。これら味醂は、日本の酒税法における分類では混成酒に分類され、酒税法により酒税が課されます。酒税に加えて、日本では軽減税率の適用を受けず、2019年10月1日以降、消費税の税率は10%が賦課されています。また、日本での製造や販売には、酒類免許が必要で、加えて、営業者は「満20歳未満の者の飲酒を防止するための、年齢確認その他必要な措置」を行う必要があります。また、営業者は満20歳未満の者に対して、飲用目的と知りながら味醂を販売してはならないと定められています。類似の調味料が有るものの、材料や製法が違う事から成分が異なり、料理における効果も異なります。「みりん風調味料」と区別して、みりんのことを「本みりん」と呼んでいます。なお、「本みりん」という酒税法上の区分は存在していません。実は『本みりん』といってもさらに飲める・飲めないの2種類に分かれますす。本物の製法で造られるみりんの原材料は「米麹、もち米、米焼酎」の3つです。飲むことができる本みりん(=本物のみりん)は「米麹」、蒸した「もち米」、「米焼酎」の3つだけを合わせて発酵させ、数年間熟成させたものです。一方、飲めない本みりんは「飲める本みりん」を約4倍に薄め、「醸造アルコール」や「糖分」で味をととのえて製造されています。あくまで調味料向きの商品であり、お酒として楽しむには抵抗を感じる味なのです。現在、そんな飲むことができる「本物のみりん」を造っているのは、国内で全体のわずか2~3%に過ぎないようです。本物のみりんは時間と人の手をかけて大切に造られます。熟成期間が長くなるにつれ、色と味が変化していくのがみりんのおもしろいところです。ちなみに「みりん風調味料」はあまり日持ちしませんが、「本物のみりん」は開封後も何年ももつので、自宅で使いながらゆっくり熟成させることもできるそうです。
江戸時代のカクテル 柳陰(やなぎかげ)
古典落語「青菜」に登場したり、当時のパリ万博に出品されたりしていることから、実は当時の文化にかなり根付いていたと考えられる「日本最古のカクテル」とも呼ばれるのが「柳蔭(やなぎかげ)」です。江戸時代の味醂は、普通の日本酒よりも高級で高価な酒とされていたようです。甘味があるので下戸にも飲みやすく、女性にも好まれたようです。作り方は非常にシンプルで、米焼酎とみりんを1:1で割るだけです。江戸時代はこれを井戸水等で冷やしたそうですが、現代に生きる皆様は大きめの氷を浮かべて、ぜひロックでお試しください。同じものを江戸では「本直し(ほんなおし)」もしくは「直し(なおし)」と言ったそうです。
ちなみにそれぞれの語源についても簡単に解説しますと、以下となっているようです。
柳蔭・・・主に夏の終わりに、柳の木陰で涼みながら飲んだことから
本直し・・・それほど味の優れていなかった焼酎の味を「直す」ことから
柳蔭の語源はなんとも風流を感じますし、本直しは、味わいを整えるみりんの力を表した言葉となっています。
薬用養命酒
飲用としては知られていない味醂ですが、実は、多くの方が、名前は聞いたことがあるであろう「養命酒」は「本みりん」を活用しています。養命酒(ようめいしゅ)は、養命酒製造株式会社が製造販売する第2類医薬品(滋養強壮保健薬、薬用酒)で、「薬用養命酒(やくようようめいしゅ)」として、薬局やドラッグストアなどで販売されています。薬事法上、医薬品ですので、当店では、ご提供出来ませんが、同メーカーが製造販売している同種の酒類については、ご提供する場合もあります。薬事法にて「薬用養命酒」の製造方法は、お酒を使って生薬成分を抽出することでできます。原酒は、蒸したもち米に麹(こうじ)を加え、一定期間熟成させて造ります。もち米が麹の作用によって糖化して、甘くまろやかなもち米100%の「本みりん」(原酒)になります。生薬の抽出は、その原酒(本みりん)に、2000年の歴史を持つ、漢方を基盤として、長年の経験に基づいた独自の処方で配合した14種類の生薬を浸漬して抽出します。効能は、冷え症・肉体疲労・食欲不振・血色不良・胃腸虚弱・虚弱体質・病中病後に対する滋養強壮です。日本酒やワイン相当のアルコールを14%を含有しますが、医薬品のため「酒類」には該当しません。また2009年末までは、酒類販売業者において酒類(リキュール類、薬味酒)としての「養命酒」も販売されていました。「薬用養命酒」とはパッケージのデザインが異なっていましたが、中身は両者とも同じでした。しかし酒系市場における売り上げが減少の一途をたどったことから、販売が打ち切られています。ハーブや高麗人参類似商品は混成酒(リキュール)として販売されています。
製造元に残る伝承によれば、慶長年間(1596年~1615年)、信州伊那郡大草領(現在の長野県上伊那郡中川村大草)に住んでいた庄屋の塩沢宗閑翁が、雪の中で倒れていた老人を助けました。この老人は塩沢の元を去るときに礼として薬用酒の製法を教え伝え、これを養命酒の起源としています。1602年に「養命酒」の名で製造を始め、1603年に徳川家康へ献上して「飛龍」印の使用が許され、日本初の商標ともされています。江戸幕府ができた年、徳川家康に養命酒を献上しますと、幕府から「天下御免万病養命酒」と免許され、その象徴として「飛龍」を目印として使用することを許可されたといわれています。以来、飛龍は養命酒の目印、つまり商標として今日まで使われてきており、日本におけるもっとも古い商標のひとつです。龍は古来から、神通力を持ち、自然の恵みを豊かにして人々の生活を平安にするといわれています。養命酒の商標「飛龍」は龍が翼を持ち、空を飛んでいる姿で養命酒の優れた効果を表す意味を持っています。また、赤穂浪士が飲んでいた記録があるほか、1774年刊行の小説「異国奇談和荘兵衛」に登場します。長らく塩沢家が製造しましたが、1923年に塩沢貞雄が株式会社天龍舘(1951年に現在の養命酒増株式会社へ改称)を設立して会社組織になりました。1930年に東京で本格的に養命酒を売り出した当初は全く売れませんでした。進出に先立ち試飲した東京の酒類販売業者たちからは「こんなものが売れるものか」と大笑いされたといいます。しかし地道な宣伝活動を継続して行った結果、33年後の1963年の東京での売り上げは発売開始初年度の約80倍にまで膨らんでいました。世界にも知られるようになったのは、山本五十六海軍大将が養命酒の愛飲家で、ロンドン海軍軍縮会議に参加する若槻禮次郎全権大使に同行した際に持っていったのがきっかけと言われています。その後、中国やマレーシア、シンガポール、ブラジルなどに輸出するようになります。
また、本みりんのもつ糖分が複合的であることから、血糖値の上昇がゆるやかで、砂糖水にスパイスを加えたものよりさらに身体にやさしく、また、生薬を漬ける工程があることで、本みりんが熟成される期間が発生してアルコールを分解するのを補助してくれる成分もみりんの中で生まれます。
その他の本みりん
ただ、養命酒製造のように医薬品として本みりんを活用して販売しているのは珍しく、多くは一般の酒税法に基づくリキュールとして販売されています。
その代表例が、広島県福山市・鞆の浦の観光を支える「保命酒(ほうめいしゅ)」です。福山市のHP(2024年現在)によりますと、江戸時代初期、大阪の漢方医・中村吉兵衛が長崎出島に薬草の買い付けに向かう途中に立ち寄った鞆(とも、鞆町、鞆の浦付近)で見つけた地酒「吉備の旨酒」に、生薬を漬け込んだのが始まりとされ、以降、現在の太田家住宅で「十六味地黄保命酒」として醸造が開始されました。16種類のハーブを漬け込んだ薬味酒で,江戸時代,福山藩は代々保命酒を御用酒としていたことから備後の特産品として広がりました。ペリーが開国を迫って日本にやってきた当時の老中首座(今の内閣総理大臣)は、福山藩主の阿部正弘でした。ほとんどは江戸に居たようですが。そのためペリー一行をもてなす宴会にも保命酒がふるまわれたということです。現在では、鞆の浦地域で4社が製造しています。
ざっくりいいますと、阿部正弘は、勝海舟や坂本龍馬、西郷隆盛らに比べて有名ではありませんが、日本の歴史において欠かすこと出来ない人物です。わずか27歳の若さで老中首座に就任した超エリートで、「ペリー来航、黒船来航」に伴って、「開国、日米和親条約締結」の判断をして、日本が諸外国の圧力に対抗しできるように国防強化や外交強化などの「安政の改革(江戸末期の安政期、1854年~1860年)」を行なった人物です。結果として、「大政奉還」「明治維新」へのきっかけとなったともいえます。新政府軍の西郷隆盛と「江戸城無血開城」を行なった旧幕府軍の勝海舟を旧幕臣へ登用したのも阿部正弘です。勝海舟は、犬猿の仲であった薩長両藩の仲を取り持ち、明治維新へとつながる薩長同盟の立役者である坂本龍馬が師と仰いだ人物です。また、漂流ではありましたが、アメリカ合衆国を訪れた最初の日本人の一人であり、その後日米和親条約の締結に尽力し、通訳・教授などでも活躍した中浜万次郎(ジョン万次郎)を見出して登用したことは現在に日本に多大な影響を及ぼしているといえます。そんな歴史に思いを馳せて頂くのも、たまには良いのかもしれません。
元々は、大阪の医師だった中村氏が大火に遭い、鞆の浦へ移住し、保命酒の製造を始めます。そのころは、中村屋以外が保命酒を製造することは禁じられていましたが、明治維新の動乱の中で、元祖の中村屋は廃業、新たなほかの蔵元に受け継がれていきました。
お屠蘇(おとそ)
もうひとつ、聞いたことはあるが、良く知らないお酒に「お屠蘇(おとそ)」があります。年の初めにお酒を飲んで、うきうきとした正月の気分をあらわす言葉に、「おとそきぶん」という言葉があるように、日本には元旦の朝、家族一同がそろって屠蘇酒を飲む風習があります(今では、過去形になりつつありますが)。1年間の長寿健康を祈願する慣わしです。数種類の生薬を調合した屠蘇散(屠蘇延命散)を、清酒やみりんに一晩漬け込むお祝いのお酒です。 平安時代にさまざまな年中行事が誕生しました。その多くは、中国の古習に則ったもので、悪疫を防ぎ、病魔の退散を祈り、延命長寿、無病息災を祈る行事でした。屠蘇の風習も、中国で生まれた災難予防や疫病逃れの呪術儀式が、日本でも平安貴族の迷信深い思想によって広まり、やがて経済的なゆとりを持った江戸時代の庶民に育てられ、現代の年中行事として伝わっています。
屠蘇とは「邪気を屠(ほふ)り、心身を蘇(よみがえ)らせる」ところから名付けられたと言います。「屠蘇」とは本来、「蘇」という鬼を屠(ほふ)る(殺す)ということだと言われています。「屠」には「死」「葬る」という意味があります。「悪鬼・疫病を治し、邪気・毒気を払うとされて、一人でこれを飲めば一家に疫なく、一家でこれを飲めば一里に疫なし、元旦にこれを飲めば一年間病気にかからない」と信じられてきました。関東以西の本州太平洋側では、結構メジャーな本みりんの飲み方のようです。寒い地域では、本みりんが結晶化してしまうため、製造があまりさかんではなく、それもあってあまりお屠蘇としての本みりんは盛んにみられないようです。また、九州も南になっていくと、江戸時代に肥後藩が「肥後藩内ではそれ以外は造っても飲んでもならない」としていた赤酒(味醂と清酒を一緒にした感じ)が今でも本みりんよりも勢力が強いため、本みりんではお屠蘇があまり仕込まれません。
屠蘇散の処方は、書物によって違いますが、一般的にはオケラの根(白朮、びゃくじゅつ)・サンショウの実(蜀椒、しょくしょう)・ボウフウの根(防風、ぼうふう)・キキョウの根(桔梗、ききょう)・ニッケイの樹皮(桂皮、けいひ)・ミカンの皮(陳皮、ちんぴ)など、身体を温めたり、胃腸の働きを助けたり、風邪の予防に効果的といわれる生薬を含んでいます。もともと、薬のトリカブトの根(烏頭、うず)や下剤のダイオウ(大黄、だいおう)なども加えていたようですが、現在の処方には激しい作用の生薬は含まれていません。感じ方は人それぞれですが、のど飴やのど薬の「龍角散」で使用されている「桔梗根」が使用されていますので、「龍角散」の香りに近い感じかもしれません。「桂皮」も使用されていますので、時間が経つとシナモンの香りも感じられるかもしれません。当店では、高野山の開運お屠蘇散を取り寄せてご提供いたします。お酒だけでなく、近年では、屠蘇茶として漢方茶、ハーブティー代わりに飲まれています。お好みによっては、ウイスキーやワイン、ブランデーに浸して飲まれる方もいらっしゃるようです。
お屠蘇の原材料は、山椒果皮、桂皮、みかん皮、桔梗根、浜防風、おけらの茎葉(けいよう)から成ります。お屠蘇に含まれる薬膳素材に触れておきます。
・山椒(さんしょう)は、北海道から九州、朝鮮半島南部に分布するミカン科の落葉低木(らくようていぼく)のサンショウの果皮です。知らない方も多いかもしれませんが、実は日本固有の香辛料です。中国では同属植物のカホクザンショウの果皮を花椒(かしょう、又の呼び方をホアジャオ)として用いています。
・桂皮(けいひ)は、クスノキ科のケイの樹皮です。薬料(やくりょう)、香料(こうりょう)として古くから世界各地で用いられ、「神農本草経(しんのうほんぞうきょう、古代中国の薬学書」をはじめ、エジプトの「エーベルス・パピルス」、インドの「チャラカ本草」、ギリシアの「マテリア・メディカ」などにも記載が見られます。食品として用いられるときには皆様もご存知のシナモンとして流通しています。一般的に、食品で使われるシナモンは、枝の部分、名前で言うと桂枝(けいし)を使うことが多いですが、漢方や薬膳では、より効果のある幹の部分を使います。この幹の部分は桂皮(けいひ)と呼ばれます。古代エジプトでは没薬(もつやく)などの香薬とともにミイラを作るときに用いられていました。
・みかん皮は、漢方では古く乾燥させたミカンの皮を陳皮(ちんぴ)として使用しています。陳皮の「陳」は「陳旧」の意味であり、古いほうが良品とされています。10年以上のすごく古いものは高値で取引されています。香が良いため漢方では気の巡りをよくする理気薬(りきやく)に分類されており、様々な漢方薬で使用されています。
・桔梗根(ききょうこん)は、日本、朝鮮半島、中国などに分布するキキョウ科のキキョウの根です。名前の由来は結(桔)実して硬い(梗)ことから付けられたとされています。桔梗は「舟楫(ふなかじ:舟によって物を運ぶこと)の剤(ざい)」とも呼ばれ、他の薬剤の効果を体の上半身に運ぶという説もあります。皆様の身近なものでは「龍角散」などにも使われています。
・浜防風(はまぼうふう)は、セリ科の多年草で、ボウフウは日本に自生していません。日本でボウフウといえば海辺(うみべ)に自生するハマボウフウのことをいいます。防風とは「風邪を防ぐ」という意味です。
・おけらの茎葉(けいよう)は、キク科オケラ属の多年草です。オケラは漢方では朮(じゅつ)という素材として、キク科のオケラの根茎を用いています。
白酒(しろざけ、ひな祭りのお酒)
だんだんと、風習や文化が廃れているこの頃ですが、「白酒(しろざけ)」もそのひとつです。
昭和11年(1936年)にリリースされた、サトウハチロー作詞の童謡の「うれしいひなまつり」の2番に、「すこししろざけめされたか あかいおかおのうだいじん」という歌詞があります。古くからひな祭りには白酒(しろざけ)が飲まれていたようですが、白酒(しろざけ)を飲むようになったのは諸説あります。
3月3日のひな祭りは、女の子の健やかな成長を願い、お祝いする日です。この日は、「上巳(じょうし、じょうみ)の節句」「桃の節句」とも呼ばれます。「上巳」は陰暦3月の最初の巳の日を意味していましたが、魏(220年~265年)の時代より3月3日になったと言われています。「上巳の節句」とは、古代中国から日本に伝わった、数々の季節行事や慣わしのひとつで、のちに江戸幕府が公式に定めた5つの節句「五節句(正月、ひな祭り、こどもの日、七夕、お月見)」に選ばれた、由緒正しい伝統行事です。それぞれの節句には独自の由来や歴史があり、その時期に合わせて特別なイベントや食べ物が楽しまれます。五節句は、日本の風習や文化を体験する上で重要な役割を果たしています。具体的な五節句の日時と読み方は次のとおりです。
人日(じんじつ)の節句(七草の節句 )は、1月7日で、七草粥を食べて、健康や無病息災を願います。
上巳(じょうみ)の節句(桃の節句)は、3月3日で、雛人形を飾り、菱餅を食べたりして、女の子の成長を願い、お祝いします。
端午(たんご)の節句(菖蒲(しょうぶ)の節句)は、5月5日は、五月人形や鯉のぼりを飾り、柏餅などを食べて、男の子が元気に成長するようにとの願い、お祝いします。
七夕(たなばた)の節句(笹竹 (ささたけ)の節句)は、7月7日で、天の川に浮かぶ2つの星が出会う日とされており、笹の葉に短冊を飾る習慣があります。
重陽(ちょうよう)の節句(菊の節句)は、陰暦の9月9日で、菊酒を飲んだり菊の花を鑑賞したりして健康・長寿を願う日ですが、現代ではあまり知られていません。菊を飾ったり、菊酒を飲んだりすることが一般的です。また、菊の形をした菓子や、柚子を使った料理も楽しまれます。お月見は、秋の夜長に月を愛でる節句で、十五夜とも呼ばれます。9月の中旬から10月の上旬にかけて行われます。お団子やあられなどのお菓子を食べる習慣があります。また、月見団子や酒を楽しむこともあります。
節句といわれる季節の節目のころは、昔から邪気が入りやすいとされており、中国の「上巳の節句」には、水辺で身体を清めて厄災を払い、宴会を催していました。古代中国では、この時に、人形とともに厄災を川に流す「流し雛」が行われており、これが今の雛人形のルーツと考えられています。日本では、平安時代の上巳の節句に「ひいな(雛)」と呼ばれる紙の人形を川に流し、無病息災を願っていたのだそうです。時代が進むにつれて、雛人形は立派で豪華絢爛なお祝いになっていき、雛人形を川へ流すのではなく飾ることで厄をはらう習慣へと変化しました。このような背景から、お雛様には子供が健やかに育ち幸せになってほしいという両親からの願いと祈りが込められています。現代のようなひな祭りを祝うようになったのは、江戸時代に入ってからといわれており、ひな祭りに白酒(しろざけ)が飲まれるようになったのもこのころです。上巳の節句で厄災を払うためにもう一つされていたのが、桃の花を酒に浸した「桃花酒(とうかしゅ)」です。古代中国の上巳の節句には、白酒(しろざけ)ではなく、桃の花びらを漬けたお酒「桃花酒(とうかしゅ)」を飲む風習があったとされています。古代中国では、桃の木は鬼神(きしん)や邪気(じゃき)をはらう力を持ち、桃の実は不老不死や長寿をもたらす食べ物、と考えられていました。よって、桃は邪気を祓い不老長寿を与える仙木(せんぼく、桃の呼名、神や仙人に力を与える樹木、桃の実は仙果とも呼ばれる)とされており、桃の花を酒に入れて飲むことで、健康になると言われていたそうです。この桃花酒は、その名の通り「桃の香りのするお酒」で、桃は邪気を払う効果や、百歳(ももとせ)まで生きるという長寿の意味がありました。このことから、桃が節句を祝うのにふさわしく、桃の花が咲くころが旧暦の3月3日頃ということもあって「桃の節句」と呼ばれるようになったそうです。日本でも桃花酒は飲まれていましたが、江戸時代以降になると、白酒(しろざけ)を飲むようになりました。その理由は、ひな祭り時期に、とある酒店(おそらく豊島屋、としまや)が販売した白酒(しろざけ)が大ヒットしたことによるといわれています。「江戸名所図会(1829)」には、雛祭前の2月の末に白酒(しろざけ)を買う客で混雑する、江戸の神田鎌倉河岸(現在の内神田)の豊島屋(現在の神田猿楽町の豊島屋本店、としまやほんてん、戦争や関東大震災で移転)の図があります。この桃花酒に、桃の花がきれいに引き立つ酒として白酒(しろざけ)が使われるようになり、今の白酒(しろざけ)を飲む風習になっていったと考えられています。ひな祭りに白酒(しろざけ)が飲まれるようになったのには、こんなエピソードがあります。昔、大蛇をお腹に宿してしまった女性が3月3日に白酒(しろざけ)を飲んだところ、胎内の大蛇が消えてしまったという言い伝えです。これにより、女性の厄払いのために、3月3日に白酒(しろざけ)を飲むようになったという説があります。つまり、ひな祭りの起源は無病息災と厄除けを祈る行事であり、白酒(しろざけ)も健康を願って飲む酒だったのです。
雛人形の二段目を見ると、白酒(しろざけ)を注ぐ人物がいます。その人物は、三人官女です。三人官女とは、お内裏様に仕える宮廷の女官のことです。雛人形でいうと、向かって左から、「提子(ひさげ)」を持つ官女、「三方(さんぽう)」を持つ官女、「長柄銚子(ながえのちょうし)」を持つ官女の順に並んでいます。白酒(しろざけ)を注ぐ順序は、提子に入った白酒(しろざけ)を、長柄銚子に入れ、真ん中の官女が捧げ持つ盃に注ぐという順です。今から80年以上前に発表された童謡「うれしいひなまつり」に出てくる「お内裏様とお雛様〜」という歌詞から、男雛=お内裏様、女雛=お雛様だと思っている人が多いと思いますが、実はこれは間違いです。内裏(だいり)というのは、京都御所の中で天皇が住んでいたところを指す言葉なので、正しくは男女合わせて「お内裏様」ということになります。同じように「内裏雛」という場合も男女ペアを意味します。また、「お雛様」という言葉も女雛だけではなく、人形全体を指しますので間違った表現なのです。作詞を手がけたサトウハチロー(山野三郎という名前の場合もある)は、宮中の言葉を勘違いして作ってしまい、後に全国的に広まってしまったことを生涯悔いていたそうです。
白酒(しろざけ)
白酒(しろざけ)とは、蒸したもち米とみりん(または焼酎・米麹)を原料とし、それらを、1か月程度熟成させて、まずは「もろみ」をつくります。「もろみ」とは、発酵中の液体のことで、酒母・麹・蒸米・水を加えて発酵させた日本酒になる前段階のものです。 この「もろみ」をこすと、澄んだ日本酒が出来上がります。 「もろみ」をこさずに仕上げたものが「どぶろく」になります。このもろみを軽くすりつぶしたのが白酒(しろざけ)です。特徴は、白く濁った色、そして、口に含んだときの甘みです。原材料は日本酒と似ていますが、みりんなどを加えているため、酒税法ではリキュール類に分類されています。アルコール分は9~10%程度で、ビールのアルコール度数3~8%よりもアルコール度数の高いお酒になります。とろみのある口当たりと甘味の強い味わいが特徴です。白酒には、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンB5、タンパク質、糖質が含まれています。なかでも、エネルギー源となる糖質が多いのが特徴です。
白酒(しろざけ)と日本酒は違います。
日本酒は、お米を原料としたお酒で、蒸したお米に米麹、水を加えて発酵、熟成させてつくられます。よって、日本酒は「醸造酒」というカテゴリーに該当します。日本酒は、無色透明のものが一般的ですが、のごり酒のような白濁したものもあります。この白濁したものが白酒(しろざけ)だと思われるかもしれませんが、白酒(しろざけ)とは違うのです。
白酒(しろざけ)は、日本酒とは原料や製造法が違います。白酒(しろざけ)の原料は、蒸したもち米とみりん(または焼酎・米麹)です。これらの原料を1か月程度熟成させてもろみをつくり、軽くすりつぶしたものが白酒(しろざけ)となります。製造工程に発酵は入っていません。このようなお酒は「混成酒」と呼ばれ、白酒(しろざけ)のほかに、梅酒やみりん、リキュールなどもそうです。 このように、日本酒とは、原料、つくり方が違い、お酒としての種類も異なるのです。
白酒(しろざけ)と甘酒とは違います。
白酒(しろざけ)と甘酒は、名前も「酒」とつきますし、白っぽい見た目も似ています。しかし、このふたつは違う飲み物なのです。甘酒にはアルコールを含むお酒とノンアルコールがあります。日本では、ひな祭りに飲むお酒が、桃香酒から白酒(しろざけ)へと変化していきましたが、この白酒(しろざけ)は、アルコール度数がかなり高く、子供が飲むには適していないことから、アルコールが入っていない、甘酒で代用する風習が広まったのだそうです。甘酒には、大きく分けて2つの種類があります。アルコールを含む「酒粕甘酒」とノンアルコールの「米麹甘酒」です。アルコールを含む「酒粕甘酒」は、日本酒をつくるときに出る酒粕に、水を加えてつくられるものです。そのため、少量アルコール含みます。さらっとしており、甘みの調整ができるのがポイントです。レジスタンスプロテインや植物繊維なども含んでいるとされるため、腸内環境を整えたり、美容作用も期待できます。ノンアルコールの「米麹甘酒」は、味噌や醤油づくりにも使われている米麹を使ってつくられます。特徴としては、とろみがあり、自然なお米の甘みが感じられることです。また、栄養価も豊富で、ビタミン類や、葉酸、食物繊維、アミノ酸などが含まれています。そのことから「飲む点滴」とも呼ばれているのです。こちらはノンアルコールですので、アルコールが苦手な方や小さなお子さんでも飲むことができます。
ちなみに、白酒という言葉には、読み方が異なり全く違うお酒のことを指すものがあります。
白酒(しろき)は、新嘗祭や大嘗祭のために造られる特別な御神酒(おみき)で、新米を使って醸造された清酒のことです。
白酒(はくしゅ)は、どぶろくなどの白く濁った酒のことです。
白酒(パイチュウ)は、中国発祥の穀物を原料とする蒸溜酒で、ブランデーやウィスキーとともに世界三大蒸溜酒のひとつで、白酒という名前ですが、一般的には無色透明です。
白酒(しろき、御神酒)
少し「白酒(しろき)」について触れておきます。「白酒(しろき)」は、御神酒(おみき)のひとつです。初詣や厄除けなどで神社に訪れた際にいただくことのある御神酒(おみき)は、本来は神事などで神に捧げるためのお酒です。神社でふるまわれる白酒は、だいたい「どぶろく」です。全国40を超える酒造免許を持つ神社のうち、半数近くで、古式(どぶろく造り)にのっとって造られています。樽の中に、蒸米・米麹・仕込み水の全量を仕込み、一気に発酵・熟成させます。分解し切れなかったコメのでん粉を含むため、白くなります。また、アルコールにならなかったでん粉からの糖も残るため、ほんのり甘い味になります。「どぶろく」の上澄み、あるいは、どぶろくを絹布でこしたものが「すみ酒、清み酒、澄酒」です。伊勢神宮ではどぶろく造りですみ酒が造られます。すみ酒は出雲大社でも造られています。御神酒は初詣や厄除け以外でも、結婚式や地鎮祭などでも使用されます。御神酒とは、神様にお供えするお酒のことで、「おみき」と読みます。御神酒は、神社や神棚でお供えする神饌(しんせん)の一つです。神饌とは、神前に供えるお酒や食べ物のことで、お餅や魚、野菜や塩などがあります。一説によると、御神酒という漢字は同じでも、神様にお供えするときは「ごしんしゅ」と読み、その後に振る舞われるときに「おみき」と呼ぶこともあるようです。祭礼などでは御神酒を神前にお供えし、祭礼の終了時にお供えした御神酒をいただくのが一般的な流れとなっています。神様にお供えして霊の宿った御神酒をいただくことによって、ご利益があるとされ、日本では太古から行われてきた儀式の一つです。御神酒をお供えするタイミングには、お正月、厄除け、結婚式のお祝い、初宮参り、七五三、地鎮祭などがあります。御神酒は神社や神宮での祭礼後に、その場でいただくこともありますが、瓶の御神酒をいただいて持ち帰ることもあります。また、清酒ではありますが、御神酒として販売されているお酒もあります。御神酒の種類御神酒に使われるお酒は、種類や醸造方法も多くありますが、本来は「白黒醴清(しろくろれいせい)」と呼ばれる、白酒(しろき)、黒酒(くろき)、醴酒(れいしゅ)、清酒(せいしゅ)の4種類をお供えするのが正式とされています。しかし、一般的には「日本酒」のお供えが多いのが現状です。白酒・黒酒・醴酒・清酒の4つを揃えるのは困難であるため、現在この4種類を揃えているのは伊勢神宮や出雲大社、皇室などの限られた場所のみとなっています。そのため、神社や家庭の神棚などでは清酒(日本酒)1種類のみを御神酒としてお供えするのが一般的です。
白酒(しろき)は、麹と蒸した米、水で造った醪(もろみ)を醸造した濁酒(どぶろく)です。濁酒(どぶろく)の状態から濾して清酒にしたものを指す場合もあります。文字通り、白濁しているのが特徴です。
黒酒(くろき)は、白酒に植物の枝を焼灰にして加え、黒色に着色したものです。
醴酒(れいしゅ)は、一夜酒ともいわれ、蒸し米に麹を加え一晩寝かせて造ったお酒です。アルコールが1%未満であることから、甘酒に分類されます。醴の訓読みは、「あまざけ」「あま(い)」です。
清酒(せいしゅ)は、「すみざけ」ともいい、「日本酒」のことを指します。正確には、「清酒」の全てが「日本酒」ではありません。海外産の米を使用した「清酒」や、日本以外で製造された「清酒」が国内に輸入されたとしても、「日本酒」と表示することはできません。「清酒」のうち、「日本酒(Nihonshu / Japanese Sake)」とは、原料の米に日本産米を用い、日本国内で醸造したもののみを言い、こうした「日本酒」という呼称は地理的表示(GI)として保護されています。
白酒(パイチュウ)
中国酒の白酒(パイチュウ)も、「白酒」と書きます。白酒(パイチュウ)は、中国で生まれた蒸溜酒です。中国の国酒で800年余りの歴史を有し、スコッチウィスキー、フランスのコニャックブランデーと並び、世界三大蒸溜酒の一つと称されています。別名、「焼酒(ショウシュ)」や「火酒(カシュ)」とも呼ばれています。主原料から高粱酒(カオリャンチュウ)ともいい、中国東北部では白乾児(パイカール)ともいいます。蒸溜酒の中で、世界で最も販売量が多いのは中国の「白酒(パイチュウ)」で、中国の蒸溜酒市場の99.6%を占めるともいわれています。背の高いモロコシ「高粱(コーリャン)」、ジャガイモ、トウモロコシなどを原料にして、つくられます。「白いお酒」と書きますが、実際は無色透明です。これは、中国の代表的な醸造酒「黄酒(ホアンチュウ)、黄酒の代表は紹興酒(しょうこうしゅ)、黄酒の長期熟成は老酒(らおちゅう)」を無色透明になるまで蒸溜することで、パイチュウが生まれることから、そのように呼ばれます。また、芳醇な香りも特徴的です。パイチュウのアルコール度数は、低いものでも30度、高いものだと50度超えのものもあります。そのことから、食中酒というよりは、乾杯のときのお酒として飲まれるのが、中国では一般的なようです。
白酒(パイチュウ)は、多くの種類や銘柄があります。その中でも代表的で、白酒(パイチュウ)の元祖ともいわれる茅台酒(マオタイしゅ)は、中国貴州省北西部仁懐市茅台鎮でのみ生産されている伝統的な特産品です。その中でも「貴州茅台酒」は、中国の酒造メーカーである「貴州茅台酒股份有限公司(きしゅうちだいしゅ、クェイチョウマオタイジウ コフンヨウシエンゴンスー、中国語: 贵州茅台酒股份有限公司)」が製造しています。中華人民共和国貴州省の酒造企業で、白酒「茅台酒」の研究開発、製造、販売、模造品対策を行っています。貴州省人民政府(中国語版)が親会社貴州茅台集団(中国語版)を通じて間接保有する公有企業です。2017年4月に飲料メーカーとして時価総額世界最大となりました。日本では、日和商事株式会社が日本総代理店として輸入しています。茅台酒は、中華人民共和国貴州省特産の高粱を主な原料とする蒸溜酒で、中国を代表する高級白酒(パイチュウ)です。大切な方への返礼の品や、国賓級のおもてなしなど公的な外交の場においても多く用いられています。香り高く、きめ細やかな上品さをあわせ持ち濃厚かつ深い味わいのため、風味が心地よく舌に留まり、飲み干したグラスにも香りが残るほどです。1915年に開催されたサンフランシスコ万国博覧会で、金賞を受賞しました。建国以来多くの賞を受賞し、世界各地で販売され、世界の名酒そして祖国の光と称えられています。1972年に日中国交正常化式典の宴席で、時の田中角栄首相と周恩来総理が、茅台酒で乾杯したことから、日本でも広く知られるようになりました。茅台酒は伝統製法を守り中国貴州省茅台鎮でのみ製造されているこの上なく精妙な酒です。水質が良好な赤水河(せきすいが、長江右岸の支流)の水を主に使って作られています。赤水河の水は硬度も低く、微量元素(ミネラルの中でも少ない元素成分)が豊富で大変清らかです。微かに甘く溶性不純物を含まない水なので、蒸溜した酒は特に甘口に仕上がります。茅台酒の酒蔵は、その赤水河上流に建っています。渓谷地帯に位置し、赤紫色を帯びた弱酸性の土壌や、冬は暖かく夏は涼しい上、雨風も少なく、また高温多湿の特殊な気候や千年に及ぶ醸造も手伝い、空気中にはお酒づくりに大切な微生物が豊富に含まれています。白酒をつくる麹(こうじ)は、「曲(チィー)」と言います。日本の麹とは異なります。原料は現地のトウモロコシ、小麦で高温曲を作り、また大曲(ターチユー、大きさによって大曲と小曲、シアオチユーがあります)の用量は原料より多くなります。大曲を多く使い、発酵期間を長くし、繰り返し発酵やサンプリングすることにより、茅台酒の独特な風味が生まれ、品質の良し悪しを左右します。仕込みを2回行い、9回蒸し、8回乾燥して大曲を加え(7回発酵する)、7回サンプリングをするので、生産サイクルは長いと1年にも及びます。出来上がった後、三年以上寝かせて調製・配合を行い、更に一年寝かせます。こうすることにより香りのハーモニーがより強調され、口当たりが柔らかくなります。最終的に箱詰めされて出荷されますが、全ての工程を終えるのに5年近くかかります。茅台酒は中国酒の中でも最高の風味を有している貴重な酒類として分類される醤香型(しょうこうがた、茅香型、まおしゃんがた)白酒の元祖です。その酒質は透明で、微かに黄色を帯びていて、香りが強く、飲む人を虜にします。にごりがなく透明で、深みのある味わいが特徴です。アルコール度数は52度から54度の間に保たれており、その昔長い間、中国白酒の中でも度数が最も低い酒でした。そのため喉を痛めることも頭が痛くなることもなく、疲労回復、精神安定といった効能も有していると言われています。
中国では、パイチュウ独特の香り(カプロン酸エチルを主体とするエステル香)の高い酒が好まれており、香りと味の種類によってシャンシン(香型)という分類がなされています。その種類は以下の通りです。そして(カッコ)内のものが「八大銘酒」といわれているものです。濃香型(五粮液、剣南春、洋河大曲、濾州特曲)、醤香型(郎酒、茅台酒)、清香型(汾酒)、米香型、兼香型、馥郁香、鳳香型(西鳳酒)です。現在の中国では茅台酒が最高とされているようで、国賓などの接待用にはこれが用いられるみたいです。値段も、他のパイチュウの何倍もするみたいです。2000年ごろまでは、五穀すなわち高梁・トウモロコシ・小米(うるち米)・もち米・小麦から作られた五粮液が最高のパイチュウといわれ、偽物も出まわっていたようです。高粱(コウリャン)とは、モロコシ、タカキビ(高黍)などとも呼ばれます。熱帯、亜熱帯の作物で乾燥に強く、イネ(稲)やコムギ(小麦)などが育たない地域でも成長します。食用をはじめ飼料、醸造、精糖、デンプンやアルコールなどの工業用など非常に用途が広く、穀物としての生産量ではコムギ、イネ、トウモロコシ、オオムギ(大麦)に次いで世界第5位です。同じくイネ科の穀物であり名称が似ているトウモロコシとしばしば混同されますが、モロコシはモロコシ属で、トウモロコシはトウモロコシ属に分類されていますように、属レベルで異なるまったく別の植物です。また、「タカキビ」との別名があるとおりキビとも混同されやすいですが、キビはキビ属で、これも属レベルで異なります。
茅台酒は長年の間、常に高い品質を保っています。全国品評会でも、茅台酒は「香りが強く、きめ細やかな上品な味で、濃厚かつ深い味わいなので、風味が舌に留まる」との総括を頂きました。その香り成分は110種類余りに及びます。グラスに入れて飲む前から良い香りがして、飲み干せば口いっぱいに香りが広がり、風味が舌に留まり、醸造過程で香料はいっさい加えていないのに、茅台酒の香りが弱まることはありません。繰り返し発酵させることにより自然に香りが出てくるようになるのです。その最高品質と独特の風味から、他の白酒とは比べものにならないほど別格な存在です。中国における酒文化の中心をなす最高峰のお酒という位置づけのため、贈答品としての価値が高く、供給が需要に間に合わず、あっという間に売り切れてしまうのも高価な理由のひとつです。「貴州茅台酒」は高価で、はなかなかハードルが高いため、アルコール度数を43度と低くして飲み易くして、価格も藩学程度に抑えた商品や、安価版の「茅台王子酒(マオタイオウジシュ)」も発売されています。「茅台王子酒」は、「貴州茅台酒」の姉妹品であり、メーカー希望小売価格で約10%程度と比較的ロープライス(とはいえ十分に高価なお値段ですが)な1本です。「貴州茅台酒」との違いはいくつかあり、たとえば「貴州茅台酒」は貴州省産一級品の高粱(コウリャン)100%であるのに対し、「茅台王子酒」は中国の東北地方産(おそらく、遼寧省・吉林省・黒竜江省の東北三省(旧称:東三省)、旧満洲付近)もブレンドしています。また、3年以上貯蔵するという厳格な決まりはありません。この製法の違いも、安価な理由のひとつです。「貴州茅台酒」も「茅台王子酒」も、中国国内はもちろんのこと世界中で愛飲されており、貴州茅台は2017年に時価総額が世界最大のアルコール飲料メーカーとなりました。2020年6月には、中国本土の上場企業で時価総額世界最大となりました。時価総額でもトヨタ自動車を上回りました。しかし、2024年に入ると、中国経済の景気低迷により、消費量が落ち込んでいるようです。コロナ禍の影響や、習近平政権発足後、腐敗防止として、「官官」「官民」接待が禁止されたこちも要因のようです。また、中国の若者の間にも、日本などと同様に、「ハイボール」「チューハイ」などの「割る」文化が広まってきているようです。更に、高アルコール帯よりも、ビール、ワイン、ウイスキーなどの低アルコール帯の商品へ移行しつつあるようです。