JAZZ 5/4

SINCE 2023

menu

JAZZ 5/4

SINCE 2023

TEL.対応致しかねますのでご了承下さい。

ワインのお勉強

ワインの歴史や概要についてまとめてみました。ワインは種類が多いので、フランスワインが中心です。
ウイスキーの熟成樽にも使用されるワインなどにも触れてみました。
ウイスキーの熟成樽でよく使用されるのは、ポートワイン(ルビーポート、トゥニーポート)、マデイラワイン、シェリー酒(オロロソ、PXペドロ・ヒメネス、フィノアモンティリャード、モスカテル)、貴腐ワイン(ソーテルヌ)などがあります。

■ワインの歴史

■ワインの起源

ブドウの原種は、すでに300万年前には地上に繁茂していたといわれています。糖分をアルコールに分解する酵母は、さらに古く数億年前から存在していましたので、人類はワインを発明したのではなく、発見したといえます。
ワインの歴史は、中国(紀元前7000年代)、ジョージア(紀元前6000年代)、レバノン(紀元前5000年頃)、イラン(紀元前50000年頃)、ギリシャ(紀元前4500年代)、シチリア(紀元前4000年頃)などで始まり、ブドウを使ったワインに関する初期の考古学上の痕跡が見つかっています。
■最古の文献
文献でもっとも古いのは、メソポタミア文明の頃、今からおよそ6000~7000年前の出来事を書いた「ギルガメッシュ叙事詩」です。大洪水に備えた船を建造したときに水夫にふるまったとされています。エジプト王朝は、今から5100~3500年ほど前に栄えました。古代エジプト神話の冥界(めいかい)の王、死と復活の神オシリス(初期は植物の神でもある)が地中海東岸のレバノンのワインに魅せられて広めたといわれています。また、ギリシャには、ギリシア神話に登場する「豊穣と葡萄酒と酩酊の神 ディオニーソス(ディオニュソス、ディオニソス)(=ローマ神話上のワインの神バッカス)」がもたらしたとされています。神話ではありますが、これらの言い伝えから、古代、コーカサス(現在のロシア、アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージア)に自生した葡萄がワインとなって、地中海を東からイタリア、フランス、ドイツ、スペインイギリスへと西へ、数千年かけて伝播していった足跡がみられます。神々の時代、ワインは東からもたらされた貴重な産物だったのです。紀元前4世紀~紀元前5世紀にかけて成立した「旧約聖書」の中の「ノアの箱舟」にもよく似た記述があります。
■最古の確実な証拠
ワイン製造の最も古い確実な証拠は、アルメニアで発見された紀元前4100年のものです。2011年に、アルメニア南部で活動している考古学者は、アルメニアのヴァヨツ・ゾル地方、イランとの南国境近くの小コーカサス山脈(メソポタミア文明エリア)にある「アレニー1複合洞窟」で世界最古のワイナリーを発見し、生化学物質を使用して6000年前の辛口赤ワインを特定しました。この考古学者は、「これは、これまでのところ、その場に圧搾機、発酵槽、貯蔵瓶を備えた、比較的完全なワイン生産施設としては最古のものです」としています。さらに、ワイン圧搾機の近くで見つかった乾燥した葡萄の木が紀元前4000年頃に栽培されていたと断定しています。これは、他の既知のエジプトの墳墓のワイン製造現場よりも1000年も前のことになります。そうなると、メソポタミア文明以前ということになります。
■新説の出現
ワイン造りは約8千年前(紀元前6千年頃)、ジョージアを含むコーカサス地方で始まり、ワインの起源はジョージアにあるとされています。その根拠は、クヴェヴリ(ジョージアワインの発酵、貯蔵、熟成に使われる大きな土器)の前身である素焼きの壺からヴィティス・ヴィニフェラ種の大量の種と、ワインの存在を裏付ける酒石酸(葡萄、ワインに多く含まれる有機化合物)が見つかったためです。ワインはジョージアからトルコ、ギリシャ、イタリア南部、マルセイユを経由してフランスに北上し広がったというのが定説でした。発見された場所は、ジョージア南部のクヴェモ・カルトリ地域です。カスピ海と黒海に挟まれた南コーカサスの地にあり、北はロシア、南はトルコとアルメニア、 東はアゼルヴァイジャンと接しています。古来シルクロードの要所として栄えたジョージアは、自然派ワイン誕生の地として、いま改めて世界の注目を集めています。醸造の起源は紀元前60000年に遡り、世界最古のワイン醸造法として、2013年にユネスコ世界無形文化遺産に登録されました。アルメニアとジョージアは隣国なので、コーカサス地方であることは間違いなさそうです。
それがつい最近、この定説を覆す研究成果が発表されました。2023年3月、中国などの雲南農業大学などの国際チームが、「ブドウの栽培化は約11000年前、中東(東はアフガニスタンかイランから、西は北アフリカの大西洋に面したモロッコかモーリタニアまで、北はトルコ、南はスーダンまでの範囲)とコーカサス地方(アルメニア、ジョージア、アゼルバイジャン)でほぼ同時期に始まり、主に中東から欧州、アジアへ広がった」と主張しました。つまり南コーカサスからの広がりは限定的だったと推定し、研究結果をサイエンス誌に掲載しました。ワイン用ブドウの歴史を3000年も古く見積もったうえ、ワイン伝播のルートについても再考を促す説を唱えたのです。
いずれにせよ、ジョージアなどコーカサス地方が世界最古のワイン産地の一つということは間違いないでしょう。実際、ワイン文化に誇りを持つジョージアでは、ワインが一般庶民の生活の隅々にまで根付いています。キリスト教を国教として認めた世界でも最初の国のひとつであり非常に信仰の厚いジョージアでは、宗教とともにワイン文化が発展してきました。
■ワインの歴史=人類の歴史
ワインの歴史は、古代オリエントからヨーロッパ、さらには新世界(アメリカ、オーストラリア大陸と周辺諸国など)へ広がりました。ワインの広がりは、人類の歴史と重なっています。
古代オリエント世界は、地域的には西アジアのメソポタミア(現トルコ南部~イラク)・アナトリア(現トルコ付近)・イラン高原(現イラン北部)からエジプト(地中海南東部付近)・東地中海岸を含み、東はインダス川(イランとインドの間付近)までの範囲をさします。
ワインの起源を、その発祥をメソポタミア、発展させたのがエジプト文明だとすると、これがギリシャ文明で一つの完成形を見ることになります。ギリシャ文明が生み出した芸術の数々は、現在でも尊敬をあつめるものも多いのですが、そのくらいの文明が形成されたのであれば、ワインもそれに応じたものになるだろうと想像できます。ギリシャ文明と古代エジプトの大きな違いといえば、古代エジプトはワインは王侯貴族のものであったのに対してギリシャ文明でのワインは大衆化したものになったという大きな発達があります。現代のワイン文化の多くは、古代ギリシャ人の習慣に由来していると考えられています。

■ワインの起源の頃の文明・文化

■古代オリエント文明~ギリシア文明の概要

「文明」と「文化」の文字が混在する場合がありますが、一般的には、先ず「文化」があり、その中から突出した要素(例えば、技術や制度等)が、文化的な枠組みを超えて、他の文化に普及したものが「文明」です。
■古代オリエント文明
古代オリエント文明は、紀元前3200年ごろから紀元前4世紀後半のアレクサンドロス大王による統一まで、およそ3000年間、西アジア、エジプトに栄えた世界最古の文明のことです。
下記の「メソポタミア文明」と「エジプト文明」の総称です。
■メソポタミア文明
メソポタミア文明は、紀元前3000年ころにチグリス川とユーフラテス川のほとりに国ができ、くさび形文字や月の満ち欠けにもとづいた太陰暦が発明されました。 エジプトとメソポタミアをふくむ地域はオリエントと呼ばれ、アルファベットが発明され、鉄器の仕様も広まりました。
■エジプト文明
エジプト文明は、紀元前3000年頃から紀元前30年頃まで、現在の「エジプト・アラブ共和国」があるナイル川の河畔(かはん)で繁栄した文明です。「エジプトは、ナイルのたまもの」という古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが残した言葉の通り、ナイル川の恩恵があったからこそ栄えた文明と考えられています。ナイル川は、アフリカ大陸の中部にあるビクトリア湖(ウガンダ)からスーダン、エジプトを通り、地中海に流れている大河です。春に川が増水し、上流から肥沃(ひよく)な土壌が運ばれてきたことで、農耕が可能になったといわれています。ナイル川の河畔が栄えたのは、砂漠が広がるエジプトで、人が生活するのに適した唯一の場所だったことが大きな理由です。紀元前2686年頃から紀元前2181年頃までは「古王国時代」とよばれています。第3から第6王朝までを指すことが多く、国家としての組織や機能がより整っていました。古王国時代には「三大ピラミッド」と呼ばれる世界的に有名なギザのピラミッド群や、大スフィンクスなどが建設されています。初代王朝の前に、メソポタミアからワインの原型はもたらされていて、これを開花させたのが古代エジプトだとする説が有力です。ナイル川の氾濫によって肥沃になったエジプトは農産物に恵まれ、主食になる大麦や豆類などの穀物類に果物の葡萄もあります。
●ナクトの墓の壁画(古代エジプト文明の遺跡)
「古代エジプトの都ルクソールの遺跡」は、現在のルクソール(エジプト南東部)にあります。「古代エジプト王朝の新王国時代にテーベと呼ばれ、首都として栄えました。この町はナイル川中流域に位置し、川を挟んで東岸と西岸に分かれています。太陽神が崇拝されていた古代エジプトでは、太陽は生と死、そして再生復活の象徴と考えられ、太陽が昇る東岸は「生者の町」、太陽が沈む西岸は「死者の町」とされ、東岸には神々を祀る神殿、西岸には墳墓が造られました。1979年に世界遺産に登録された「古代都市テーベとその墓地遺跡」です。有名なツタンカーメンの墓、王家の谷、カルナック神殿など数多くの遺跡があります。ここにある「貴族の墓」の中に「ナクトの墓」があります。
「ナクト」とは、トトメス4世(在位:紀元前1401年~前1391年、あるいは紀元前1397年~1388年、古代エジプト第18王朝の第8代ファラオ(王))に仕えた書記官で天文官です。「ナクトの墓」に描かれている壁画には、「葡萄の収穫とワインの醸造工程」が描かれています。この壁画からは、古代エジプト人がワインを確かに造っていたという証拠が、いたるところから発見されています。また、アンフォラ(ワイン等を入れる素焼きの壺)に入れられたワインは、発酵が終わるとそのまま静かに熟成されました。古代エジプトでは、現代のワイン醸造の基本となる「搾汁」やアンフォラによる「貯蔵・熟成」がすでに行われていたようです。さらに驚くべきことに、アンフォラには中に入っているワインの醸造年、品質、醸造責任者、葡萄園の責任者などが記載されています。これはおそらく偽物のワインでないことを証明するために記載されたと推測されます。現代のワインの原産地呼称制度の原型ともいえるような仕組みが、この古代エジプトですでに行われていたと推測されています。
・壁画の説明
ナクトの墓の壁画にははっきりと黒葡萄が棚仕立てになっていて、これを収穫している姿がわかります。
そしてその横には女性が葡萄を踏みつぶし、そしてジュースを搾り取っていることがはっきりと描かれています。
その上にはアンフォラが置かれ、ここにジュースを移してワインを造っていたことがわかります。
足踏みをする女性陣の上に紐(ひも)状のものがあり、これを握っています。葡萄は潰すとぬるぬるするのでこれがないと滑ってしまいますので、転倒防止のためにあると考えられています。
また、別の壁画では葡萄を踏み潰すその横で楽器をもって演奏している姿もあります。葡萄をひたすら潰す作業が続けば誰だって飽きてしまいますので、これをは囃し立て(はやしたて)て作業効率を上げていると推測されています。
おそらくこのころのワインは絞ったジュースを放置して、発酵してぶくぶく泡立つものを飲むという原始的なものだったと考えられています。ただし濁酒(どぶろく)のように濁っていて当然果皮や種子も混じっていただろうし、上澄みは王様が飲んでその残りをその下の人が飲んでいたと推測されています。このアンフォラには収穫年や醸造の時期、品質や醸造の責任者、葡萄園のことまで記載されていて、ワイン造りを管理する書記の認証まで掘られているのです。このことから、このころにはすでに現在の原産地呼称の原型が出来上がっていたことがわかります。
■エーゲ文明
エーゲ文明は、前半のクレタ文明と後半のミケーネ文明に区分され、紀元前3000年ごろから、ギリシアのエーゲ海周辺に、オリエント文明の影響を受けた青銅器文明が形成されました。オリエント地域との海上交易を通して、次第に一つの文明圏を形成していったものと思われます。ほぼミケーネ文明と同時期に小アジア(現在のトルコ共和国付近)のトロイア遺跡にも同様の文化(トロイア文明)が繁栄していました。エーゲ文明が起こってから紀元前27年ローマに支配(ローマ帝国、帝政ローマ)されるまでの期間を、「古代ギリシャ時代」とするのが一般的です。
■ギリシア文明
ギリシア(ギリシャ)文明は、ミケーネ文明の没落後、前8世紀なかば頃から発達しはじめ、古典期 (前5~4世紀) にその最盛期を迎えた文明です。古代ギリシア人は、前2000年頃にギリシアの地へ南下してから古代末期にいたるまでの間にいろいろな変遷を経ながら、人類史上きわめて高度な文明を築き上げました。それは、のちのヨーロッパ文化の源流となっただけではなく、今日、全世界の人々の精神的遺産ともなっています。ギリシア文明はポリス (都市国家)の市民によってになわれたものであり,ポリスの発展とも密接に結びついています。それは、政治的には貴族政から寡頭政(かとうせい、団体独裁)、僭主政(せんしゅせい、非合法独裁)を経て民主政の実現とその衰退の歴史であり、経済面では、農業生産を基盤としながらも商工業が発達し、東地中海世界を中心とした通商貿易も盛んで、貨幣経済が発展していた社会でした。このようなポリス社会を基盤に、哲学、科学、文学、美術などきわめて多彩な文化が栄えたのであり、その中心はやはりギリシアの歴史に最も重要な位置を占めているアテネでした。ギリシア文明で栄えた文化としては、「ギリシア神話」が特に有名です。
■ヘレニズム文化・ヘレニズム文明
アレクサンドロス大王の前334年からの東方遠征の結果、前330年にペルシア帝国を滅ぼし、東西に及ぶ大帝国(ギリシア本土からオリエントに広がり、インダス地方(現在のインド北西部に及んだ大帝国)の成立によって、メソポタミア文明とエジプト文明をあわせたオリエント文明がさらにギリシア文明と融合して新たなヘレニズム文明(古代ギリシア人の英雄ヘレンの子孫の意が語源)を形成することになります。アレクサンドロス大王の帝国が崩壊した後には、メソポタミアの地はギリシア系国家の「セレウコス朝シリア」に支配されますが、オリエント的要素はギリシア系文化と融合しながら継承され、その後の「パルティア(古代イラン王朝)」と「ササン朝ペルシア(古代イラン王朝、パルティアの後)」へと続き、ペルシア帝国から始まったイラン人の文化的要素(その中心がゾロアスター教)が次第に強くなります。そして7世紀にアラビア半島に興ったイスラーム教(イスラム教)とその文明が、一気に西アジアを席巻し、オリエント的・メソポタミア的文化要素は忘れ去られていくことになります。
アレクサンドロスの帝国は、ギリシアから小アジア、エジプト、シリア(シリア・アラブ共和国、通称シリア)、メソポタミア、イラン、バクトリア(現在はイランの北東の一部、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタンおよびトルクメニスタンの一部)、ソグディアナ(現在のウズベキスタンのサマルカンド州とブハラ州、タジキスタンのソグド州に相当)、インダス川流域に及び、地中海世界とオリエントを含む、広大なものとなりました。この大帝国の成立により、ギリシア文化とオリエント文化が融合し、ヘレニズム文化が成立しました。
アレクサンドロスは、東方遠征によってアケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼし、さらに前327年までかかって中央アジアのバクトリアとソグド人を平定し、今度は南下してインダス川流域に入りました。さすがに長期にわたる遠征に飽いてきたマケドニアの将兵は、それ以上の東進に反対、アレクサンドロスもそこから引き返すことになりました。そして途中のバビロンで熱病にかかり、前323年に急死(いろんな説があります)しました。
アレクサンドロスの大帝国は大王が前323年に急死した後、ディアドコイ(ギリシア語で後継者の意)といわれる後継者たちによる争いによって分裂、本国マケドニアには「アンティゴノス朝マケドニア」、メソポタミアからイラン高原一帯には「セレウコス朝シリア」、エジプトには「プトレマイオス朝エジプト」のいずれもギリシア人を支配者としたヘレニズム三国に分離しました。それらのもとでギリシア文明とオリエント文明の融合が進みヘレニズム文明が形成されました。
■アレキサンダー大王
通称アレキサンダー大王(アレクサンドロス大王)、アレクサンドロス3世(紀元前356年7月20日~紀元前323年6月10日、アルゲアス朝マケドニア王国ペラで生誕)は、古代ギリシャのアルゲアス朝マケドニア王国のバシレウス(王)(在位:紀元前336年~紀元前323年)です。また、コリントス同盟(ヘラス同盟)の盟主、エジプトのファラオも兼ねました。ヘーラクレース(ヘラクレス、ギリシア神話の英雄)とアキレウス(ギリシア神話に登場する大英雄)を祖に持つとされ、ギリシアにおける最高の家系的栄誉と共に生まれました。ギリシア語ではアレクサンドロス大王ですが、ドイツ語風に読んでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多いです。アラビア語やペルシア語では「イスカンダル」と呼ばれています。当時のアルゲアス朝マケドニア王国の位置は、ギリシャ中央マケドニアで、ユネスコ世界遺産の登録はされてませんが、今もマケドニア王国の首都だったペラの都市遺跡が残っています。
余談ですが、アニメ「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」に登場する架空の惑星「イスカンダル」は、SF(science fiction)設定の豊田有恒氏が、「アレキサンダー大王」から名付けたと語っています。
現在の北マケドニアとは、旧ユーゴスラビアを構成していた6共和国の一つで、1991年に独立国家となっています。その後、2019年2月までは、「マケドニア共和国」でしたが、それ以降「北マケドニア共和国」へと改称しています。これは、ギリシアが発端となる「マケドニア名称論争」の結果です。古代マケドニア王国は古代ギリシア人によって建国された国であり、現在の北マケドニア(旧マケドニア)とは、直接の連続性がなく、「古代マケドニア王国」は、ギリシャ文化の本質的な一部との主張です。実際、現在の北マケドニア国は、古代マケドニア王国の領土の39%で、10%がブルガリア、ギリシアが51%を占めています。ちなみに、路上に遺棄された人や孤児、ハンセン病患者、あるいはエイズ患者のために、インドのカルカッタ(現コルカタ)の「地上最悪の住宅環境」とよばれたスラム街に身を投じ、約半世紀にわたって貧者救援活動を行ったことで、1979年にノーベル平和賞を受賞した「マザー・テレサ」は、北マケドニア共和国の出身です。

■ワインの世界への伝播

コーカサス地方を発端に、メソポタミア、エジプト、ギリシア、ヨーロッパへの広がったワインは、大航海時代、キリスト教の布教とともに世界へ広がっていくことになります。
■アレキサンダー大王とワイン
アレキサンダー大王とその家庭教師のアリストテレスは、ワインの文化と発展に関係が深いです。
アレキサンダー大王がアジア最強といわれたペルシア(アケメネス朝、ペルシア帝国)を打ち破ったイッソスの戦い(前333年11月5日)当時、死者をワインや聖水で洗うという儀式が行われていたそうですが、その戦死者数にも関わらず、アレキサンダー大王はその一人一人にワインで死者への礼を捧げたともいわれています。
アレキサンダー大王の家庭教師でもあったアリストテレス(諸学の父、万学の祖、前384年~前322年)は、有名な古代ギリシアの哲学者です。アリストテレスは、哲学者で自然科学者であり、ギリシア文明のしめくくりをする大学者、アリストテレスこそは、その植物学者としての全能を傾けてギリシアにおける葡萄栽培に関する学理をまとめあげた人です。彼は葡萄の高貴化(高価値化)のための改良に接ぎ木(つぎき)の理論と技術とを明らかにしました。その後の新ワイン(現代のワイン)の礎石となったローマのワイン学者といわれる大プリニウス(ガイウス・プリニウス・セクンドゥス、23~79)や大カト(マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス、前234~149)達は皆、アリストテレスから影響を受けています。とにかく次の時代へとワイン文化のバトンタッチをした偉大な学者もアリストテレスの愛弟子なのです。大プリニウスの「博物誌」の中では、ワインに関する記述も多々あります。大カトの曾孫の小カト(マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス、前95年~前46年4月)は、贅沢は避け、必要最小限の食事と、市場で簡単に手に入る安価なワインを好んで飲んだと伝えられています。
アレキサンダー大王は、33歳という若さでこの世を後にします。アレキサンダー大王がワインで死を免れたという逸話、そして死の原因がワインという説もあります。病気、感染症、毒殺などの説もありますが、定かではありません。
■ジュリアス・シーザーとワイン
有名な「ガイウス・ユリウス・カエサル(英語読みジュリアス・シーザー)(BC102~44)」は、共和制ローマ(紀元前509年の王政ローマ打倒から紀元前27年の帝政の開始までの期間の古代ローマ帝国)の独裁官です。ジュリアス・シーザーもワインを語る上で外すことはできません。
ジュリアス・シーザーは、史実がベースとなっている有名な「シェークスピア」の戯曲「ジュリアス・シーザー」にも登場します。ジュリアス・シーザーの功績は「ガリア戦記」に詳しいところですが、彼の足跡は、現在のワイン王国フランスにワイン造りを伝えた道程だったともいえます。マルセイユから真北に向かって河を遡ると、コート・デュ・ローヌ、ボージョレー、ブルゴーニュ、アルザス、さらにその西にはシャンパーニュと、現代のフランスワインの偉大なる地方に至ります。ジュリアス・シーザーが征服していた地域に重なります。ジュリアス・シーザーは、前58年~前51年まで、軍事遠征(ガリア遠征、ガリア戦争)によって、ガリア(現在のフランス・ベルギー)全域を征服しました。ローマの戦士たちは、戦争で赴くその道の脇に、農作物の種を蒔いたといわれています。それは戦火の元でも食料の確保を怠らなかった彼らの智恵ですが、同時に征服した土地に新しい文明を定着させていったことのたとえでもあります。
また、地中海に面したマルセイユから大西洋へのもっとも近道が、ガイヤック(ガヤック、フランス南西部)地方を経て西に向かうルートです。ガロンヌ河を下り海に出る、その河口がボルドーになります。ここからブリタニア(現在のイギリス本国)へは海路があり、イギリス人はボルドー産のワインのことを「クラレット(ボルドー産の赤葡萄酒)」と呼んで親しんでいました。
※「ガリア戦記」は、ガリア戦争の当事者であるカエサルが、簡潔明晰(かんけつめいりょう)かつ客観的に描写することにより自らの戦争の正当性を示し、自らに対する種々の非難に対する弁明を意図したものです。簡潔雄渾(かんけつゆうこん)な名文として名高く、第一級の歴史書であるとともにラテン文学の傑作とされています。
■ゲルマン民族の大移動
「ゲルマン民族の大移動」とは、4世紀後半のフン族(4世紀から6世紀にかけて中央アジア、コーカサス、東ヨーロッパに住んでいた遊牧民、騎馬民族)のゲルマン地域への到来や、寒冷化と耕地不足などを主因とした、ゲルマン諸族のローマ帝国への移住です。 ヨーロッパ史においては古代から中世への転換の契機とされています。 西ゴート人(ゲルマン人の一派、イベリア半島、現在のスペイン、ポルトガル、東ゴートはイタリア半島)の南下に始まるゲルマン人のヨーロッパ各地への大規模な移動です。西ゴートの地域は土地が痩せていて定住に適さなかったたこと、寒冷化と人口増加による耕地不足が要因とされています。これに伴いゲルマン人の諸族が追い出される形で各地へ移動、侵略を開始します。歴史上「ゲルマン民族の大移動」と呼ばれるものです。
「ゲルマン民族の大移動」は、4~6世紀のゲルマン人がヨーロッパ全域に拡大した動きです。西ローマ帝国を滅亡させ、中世社会を成立させ、ゲルマン人系のフランク王国が西ヨーロッパを制覇し、そこから現在のドイツ、フランス、イタリアが生まれました。イギリスもゲルマン系の民族が国家の根幹を形成しました。但しゲルマン人はゲルマン以前のケルト系、ローマ時代以来のラテン系の人々と混合しながらヨーロッパ文明を形成しました。
ちなみに、ゲルマン民族「大移動」と呼ぶのはドイツで、フランスは「大侵入」と呼ぶそうです。移動した方はゲルマン系の民族(ドイツ人の祖先)で、侵入された土地に住んでいたのはカエサルのガリア戦記で有名なガリア人で、こちらはフランス人の祖先です。
ちなみに、ドイツ人はドイツのことを『Deutschland(ドイチュラント)』と呼びます。よって、日本語では『ドイツ』と呼びます。英語では『Germany』、フランス語では『Allemagne(アルマーニュ)』、イタリア語では『Germania(ゲルマニア)』です。
英語では日本のことは「Japan(ジャパン)」、ドイツ語では「Japan(ヤーパン)」、フランス語では「Japon(ジャポン)」、イタリア語では「Giappone(ジャポネ)」と呼ばれています。
「ガリア戦記」は、一言でいうと、ケルト人(≒ガリア人)とゲルマン人との争いの記録ともいえ、紀元前1世紀頃のケルト系ガリア人およびゲルマン人に関する重要な史料といえます。
「ローマの将軍ユリウス・カエサルが前50年頃、ガリア地方を征服してローマ領とし,多くのローマ人が大土地所有者として移住した時代をガロ=ロマン(ガロ=ローマン)時代いい、この時代の文化を「ガロ=ローマン文化」といいます。
ガリアとは、ローマ時代の北イタリアからフランスにおよぶ地域の呼称です。ケルト人が居住していましたが、ローマからはガリアと呼ばれました。南部は前2~前1世紀にローマの属州となりました。前1世紀、北部ガリアのライン川以東でゲルマン人が侵入したのを機に、カエサルが遠征、平定しました。ガリア人はローマ支配に抵抗して反乱を起こしましたが鎮圧されました。その後属州としてローマ化がすすみました。
ケルト人(≒ガリア人)は、東は現在のポーランドから西は現在のアイルランド島までとヨーロッパの広範囲に居住していた民族ですが、現在はブリテン諸島(イギリス諸島)のアイルランド、スコットランド、ウェールズ、コーンウォール、コーンウォールから移住したブルターニュのブルトン人などに言語が現存しています。
一方、ゲルマン人は、歴史的に古代から中世初期にかけて中央ヨーロッパ(現在のドイツ、スイスなど)からスカンジナビア(現在のノルウェー、スウェーデン)にかけて居住した民族集団のことを指します。19世紀ごろからは現在のドイツ北部やデンマーク、スカンディナヴィア南部に居住しました。
■東西ローマ帝国の分裂
ジュリアス・シーザーの死後設立されたローマ帝国は、395年に死去したローマ皇帝テオドシウス1世が、二人の息子に東西を二分して統治させたため、結果的にローマ帝国が東西分裂することになりました。東西分裂の際に、東方正帝がコンスタンティノープルを首都とし統治した東方領が「東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国、ギリシャ帝国、コンスタンティノープル教会)」です。1453年、オスマン帝国に滅ぼされるまで、1000年以上続きます。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代は、6世紀ころから葡萄の栽培やワインは急激に廃れていったようです。その原因は、ペスト(黒死病)やイスラム教の勃興があげられます。また、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を支えたエジプトの穀倉地帯が、636年ヤルムークの戦いで敗れアラブ帝国(正統カリフ)に奪われます。アラブ帝国は、その後、イスラーム(イスラム)帝国、オスマン帝国へとつながっていき、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を滅ぼします。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、395~1453年まで1058年間の長期間存続しますが、ペルシャ帝国、ノルマン人、イスラム勢力など外部からの脅威に常にさらされ、またクーデターにより何度も王朝が代わっていることから、葡萄栽培やワインが発展するほど裕福だったとはいえなかったのかもしれません。
一方、西側の「西ローマ帝国(ローマ教会)」は、「ゲルマン民族の大移動」の結果、476年、ゲルマン人の傭兵隊長だったオドアケルによって西ローマ帝国は滅ぼされます。その後、481年にゲルマン人の部族、フランク人によってフランク王国が建てられました。フランク王国はメロヴィング朝とカロリング朝という2つの王朝によって統治されました。その領土は、成立時より王族による分割相続が行われていたため、国内は恒常的に複数の地域(分王国)に分裂しており、統一されている期間はむしろ例外でした。ルートヴィヒ1世(敬虔王、ルイ1世とも)の死後の843年に結ばれたヴェルダン条約による分割が最後の分割となり、フランク王国は東・中・西の3王国に分割されました。その後、西フランクはフランス王国(現フランスの原型)、東フランクは神聖ローマ帝国(現ドイツの原型)の母体となり、中フランクはイタリア王国(現イタリアの原型)を形成しました。
■カール大帝
初代神聖ローマ皇帝(800年~814年)として、ローマ教皇レオ3世より帝冠を受けた東フランク王国の国王カール1世(カール大帝・シャルルマーニュ、カロリング朝)の時代(8世紀後半から9世紀前半)には、現在のフランス・ドイツ・イタリア北部・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・スイス・オーストリアおよびスロベニアに相当する地域を支配し、イベリア半島とイタリア半島南部、ブリテン諸島を除く西ヨーロッパのほぼ全域に勢力を及ぼしました。カール1世以降のフランク王国は、しばしば「フランク帝国」「カロリング帝国」などとも呼ばれます。フランク王国はキリスト教を受容し、その国家運営は教会の聖職者たちが多くを担いました。また、歴代の王はローマ・カトリック教会と密接な関係を構築し、即位の際には教皇によって聖別されました。これらのことから、西ヨーロッパにおけるキリスト教の普及とキリスト教文化の発展に重要な役割を果たしました。「神聖ローマ帝国」とは、962年、オットー1世がローマ教皇の手で戴冠してから、1806年、ナポレオンに敗れたフランツ2世が帝位を辞するまで続いたドイツ国家の呼称です。神聖ローマ帝国は、ローマ教皇に支持された皇帝を認めた中近世国家、あるいは地域であり、西暦800年のカール大帝の戴冠を始まりとする。当時の理念的には古代ローマ帝国と一体であり、またカトリック教会を含む概念でもありました。カトリック教会と教皇の守護者である神聖ローマ皇帝は最高権威を教皇と二分し、皇帝の権威は教会を通じて西欧全体に及んでいました。しかし、その実権は封建制の下で制限され、皇帝を直接の君主とする地域は962年のオットー1世戴冠をもってドイツとイタリア北部などに限定されました。「神聖ローマ帝国」の名称はこうした分裂傾向が強まった1254年からのもので、それまでは単に「ローマ帝国」「帝国」と呼ばれていました。近世の神聖ローマ帝国は皇帝を君主とする地域に限定しても複数の民族から構成される国家連合に近いものとなり、末期にはフランス皇帝ナポレオン1世によって北イタリアへの宗主権すら失い、実質的にドイツ諸侯の連邦となり果てていました。帝国の全体像を把握することは、なかなか困難です。日本では通俗的に962年のオットー1世の戴冠を神聖ローマ帝国の始まりと見なし、高等学校における世界史教育(最近はしらないが)もこの見方を継承しています。しかしドイツの歴史学界では西暦800年のカール大帝の戴冠を神聖ローマ帝国の始まりとするのが一般的です。
カール大帝が、西ヨーロッパを統一したことにより、事実上西ローマ帝国を復活させ、ローマ文化・カトリック文化・ゲルマン文化の融合がなされ、西欧文化の基礎が築かれたので「ヨーロッパの父」とも呼ばれています。
余談ですが、トランプの「ハートのキング」のモデルが、カール大帝(シャルルマーニュ)です。ちなみに、「クラブのキング」は、アレキサンダー大王、「ダイヤのキング」は、ジュリアス・シーザーです。
現在のフランスがある地域は、元々ガリアと呼ばれる土地で、ガリア人、ケルト人の住んでいた土地でした。その後、ローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)に征服され、ローマ帝国の属州になります。
ローマでは、ワインがもともと好まれ、また、ワインはキリストの血であると考えるキリスト教が普及していたので、ガリア地域の人(ガリア人、ケルト人など)も次第にワインを飲むことが文化となっていきました。しかし、ゲルマン民族の大移動により、一時は、ワインが衰退します。現在のフランスの骨格ができたのは、5世紀のことで、ゲルマン人系の一部族、フランク族のクローヴィスがフランスの基礎となる国(メロヴィング朝フランク王国)を作ります。その後、若干の紆余曲折を経て、8世紀に、ビールファンにはお馴染みのカール大帝(シャルルマーニュ)の治世により、大王国となります。その領土は、現在のフランス、ドイツ、イタリアを集めたほど大きなものでした。
つまり、フランスはワインが好きなガリア人が作った国ではなく、ビールが好きなゲルマン人系のフランク族が作った国なのです。
カール大帝というとドイツだけの王様に思えますが、実際には、フランス、ドイツ、イタリアの王様なのです。歴史の教科書では、フランス名のシャルルマーニュと呼ばれることも多いくらいです。
カール大帝は、ビールも奨励しましたが、実は、ワインも再生させたのです。荒廃したブドウ園を立て直し、ワイン醸造も奨励しました。実際、ゲルマン民族がヨーロッパに大移動した4世紀から6世紀は多くのブドウ園が放棄され、ヨーロッパではワインが作られなくなりました。ワイン文化にとっては暗黒の数百年だったのです。
しかし、封建化が進む中世ヨーロッパで、修道院や教会との強い結びつきもあり、カール大帝の出した荘園令の中に、各荘園や修道院にビール醸造所の設置が義務付けられていました。
カール大帝は、ビールだけでなく、ワインにとっても偉大な人物だったのです。
もともと、ガリア地域に入ってきたゲルマン人は、統治を行う人々だけで、人口の5%程度といわれています。したがって、フランク王国ができた後も、現在のフランスに当たるガリア地域の人々はラテン系のガリア人たちが主流でした。カール大帝が、ワインを保護すれば、元々ワイン文化を作ってきたガリア人はワインに戻っていきます。こうして、フランスはローマ以来のワイン文化を継続し、ワイン大国になったのです。一方、同じフランク王国と言えど、ゲルマン民族が主流のドイツはビール文化になっていきます。ワイン文化が主流な土地はワイン、ビール文化が主流の土地はビールが造られるようになります。「フランスをワイン大国にしたのは、意外にも、ビールを振興した、カール大帝だった」といえます。
ビール、ワインを振興したカール大帝は、フランク王国の最盛期を築いただけでなく、ヨーロッパのお酒の文化に多大な影響を与えた偉大な人物といえるでしょう。
これまで述べたように、フランスはワイン大国です。しかし、フランスにも美味しいビールはいっぱいあります。実は、フランスにおけるアルコール消費量全体の約40%(2021年)がビールです。
■キリスト教とワイン
中世のヨーロッパを語るとき、キリスト教の存在はたいへんに大きな背景となります。街はその大小に関わらず教会を中心に放射線状に形作られ、周囲を農耕地や牧草地が囲んでいました。優れた文化、芸術はキリスト教のために捧げられ、神と人との社会が構築されていたのです。そのなかでワインは、キリストの血としてたいへん神聖な、そして貴重なものとして珍重されていきました。
当時の学術の最高峰であった教会、修道院は、こぞって葡萄畑を開墾し、その技術を磨きました。14世紀、ルネッサンス(ルネサンス、文芸復興、神を中心としたギリシア、ローマの古代文化を理想としつつも、それを復興させつつ人間解放とした新しい文化を生み出そうした運動)の華が開き、人々の古代ギリシャやローマへの憧憬(しょうけい・どうけい)はいやがおうにも高まります。さらに16世紀から18世紀にかけての華麗なる宮廷文化において、それを彩ったのもまた、良質のワインでした。
当時の王族、貴族、僧院はその技術の粋を集めて、質の高いワインを造り出したのです。そして、17世紀末には、現在のように瓶詰めされてコルクで栓をしたワインが発明されました。
■大航海時代とワイン
現在地球上には、約3万品種もの葡萄が栽培されているといわれています。その90%はワインの原料として使われています。その多くはヨーロッパ種(ヴィティス・ヴィニフェラ、ワインを造る葡萄の意)です。しかもそれらは全世界で栽培されているすべての果実の50%に達しています。
16世紀の大航海時代(主にポルトガルとスペインのヨーロッパ人によるアフリカ、アジア、アメリカ大陸への大規模な航海が行われた時代を指す区分)から、ヨーロッパのワインは世界中へと広がりますが、そのなかでもここ数十年の世界のワインの品質の向上には目を見張るものがあります。
大航海時代には、キリスト教の布教と同時に、キリスト教の宣教師たちによって、世界中の国々にワインは広められていきます。この頃にはガラス瓶とコルク栓が使われるようになり、長期間の貯蔵・熟成が可能になったことも影響しているといわれています。
実は葡萄は、地域性が非常に強い植物で、あちらの葡萄をこちらに植樹したからといって簡単に同じ実をつけるとは限りません。にもかかわらず、土壌、気候など、葡萄にあった土地を選択し、伝統技術と近代技術を駆使して行われる現代の葡萄栽培は、アメリカはもとよりオーストラリアや日本でも、素晴らしい成果を収めてきました。

■ワイン王国フランス

■フランスがワイン王国となった要因

世界で最も有名なワイン産地として知られるワイン王国「フランス」でワインが盛んに造られた理由について整理しました。ただ、ワイン生産量は、フランス、イタリア、スペインが、1位から3位を常に競っています。
当然、ワインを造られている方の努力があってのことですが、その辺りは割愛し、地理的な面と歴史的な面で整理してみます。
大きくは、自然環境的に適していたことと、政治的・宗教的な側面が大きかったと推測されます。
■自然環境
自然環境的には、フランスではテロワール(語源は土地の意)という言葉があるように、土壌、気候、日照、地形など、葡萄が育つ自然環境要因に昔から重きをおいてきました。なかでも、葡萄栽培において土壌はとても大事な要素で、土壌が葡萄の味わいに大きく影響を与えます。
一般的に、ワイン用の葡萄は「ワインベルト」と呼ばれる緯度帯の国や地域で栽培されています。北緯30~50度、南緯20~40度にあり、年間平均気温10~20℃のエリアの多くが含まれます。葡萄の花の開花から収穫までの時期の日照時間が年間1250~1500時間、年間降雨量500~900mmで栽培に適した条件が揃っています。フランスもこのエリアにあり、地域差はあるものの総じて適した環境です。
また、葡萄栽培において優れた土壌は、栄養が豊富で肥沃な土地とは反対の痩せた不毛の土地です。それには、葡萄の木の特性が関係しており、葡萄の木は地中数メートルの奥深くまで根を伸ばし、地中に根をしっかりと張り巡らせることで、地中にあるさまざまな栄養を吸収し、葡萄の実に送ります。痩せた土地であるほど、葡萄の木は地中に深く根を張り巡らせるので、地中からミネラルなどの栄養を得ることができるのです。葡萄の栽培において適した石灰質土壌は、世界ではわずか7%の分布にとどまっていますが、フランスでは全体の50%以上がこの石灰質土壌となっています。 石灰質土壌で育てられた葡萄から造られたワインは一般的にアロマが強くふくらみのあるワインになるとされています。
これは、アルプス山脈の発生の起因によります。アルプス山脈とは、ヨーロッパ中央部を東西にはしる山脈で、東端のオーストリアから西端のフランスまで全長1200kmにも及びます。ヨーロッパプレートとアフリカプレートの衝突により、中生代(ジュラ紀2億100万年前~1億4500万年前、白亜紀1億4500万年前~6600万年前)の終わりから新生代(古第三紀6600万年前~2300万年前、新第三紀2300万年前~258万年前)の初めごろに隆起した褶曲(しゅうきょく、地層が曲がりくねるように変形する現象)山脈で、同じころにパリ盆地(シャンパーニュ、ブルゴーニュ地区)やアキテーヌ盆地(ボルドー地区)も隆起を始めました。白亜紀に貝やサンゴ礁など生物起源の遺骸(サンゴ、ウミユリ、貝殻など)が堆積した地層が盛り上がってできたため、フランスの国土の55%は石灰岩で形成されています。
■政治・宗教
政治的・宗教的には、暗殺時に、シェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」の中の台詞として有名な「ブルータス、お前もか」と叫んだとされる、ジュリアス・シーザーが紀元前44年に暗殺されると、共和制ローマは、ローマ帝国(古代ローマ帝国、帝政ローマ)へと移っていきます。古代エジプトでは、ジュリアス・シーザーとクレオパトラ7世の子である「プトレマイオス15世カエサリオ」の時代を最後に、アレキサンダー大王の後に設立された「プトレイマイオス朝」の終焉を迎えます。ジュリアス・シーザーの姪の息子に当たる「アウグストゥス(オクタウィウス、オクタウィアヌス)(紀元前63年9月23日~紀元14年8月19日)」は、共和政ローマの政務官でありユリウス=クラウディウス朝ローマにおける初代元首(皇帝)(在位:紀元前27年~紀元14年)で、プトレマイオス朝エジプトを併合して地中海世界を統一し、ローマ帝国(古代ローマ帝国、帝政ローマ)として、都市国家から領域国家へと発展させました。これから約200年は、「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」と称される平和な時代の礎を築きました。
その後、ゲルマン民族の大移動、西ローマ帝国の崩壊と混乱もありましたが、481年のフランク王国(メロヴィング朝)、西フランク王国、カペー朝、ヴァロア朝、ブルボン朝(ルイ王朝)、1789年のフランス革命(フランスで勃発した、ブルボン絶対王政を倒した市民革命)へと続いていきます。一時的に、1799年にナポレオンの軍事独裁政府(フランス第一帝政)が成立するなどもありましたが、基本的にはアメリカ独立革命・並行して展開されたイギリスの産業革命とともに市民社会への移行、つまり近代の出発点としての重要な歴史的画期となりました。この間、封建制度、荘園制などの社会基盤により、農業が発展しました。また、キリスト教とワインが深く結びついたこともあって、教会や修道院とも連携されました。中世に入ると教会や修道院が、教育機関や研究所のように文化を牽引していく役割を果たしました。農園の運営やワイン製造を教会が主導して推し進めた結果、生産量や品質が向上していきました。最後の晩餐でキリストの血を象徴するものとして位置づけられたワインは、キリスト教徒にとって信仰と薬用の役割を果たすようになりますが、中世も末期になると経済が発展して食事の一部となって庶民に浸透していきました。
近世でも、政府が強力にワインをバックアップしました。第1回の万国博覧会(以下万博)が1851年にロンドンで開かれ、大評判となりました。「工業力のオリンピック」の雰囲気があり、主催国のイギリスは、全面ガラス張りの建物「クリスタル・パレス」を作って、他国を圧倒したそうです。
1855年に同大会の第3回がパリで開催されました。そこで、イギリスに勝てるものは何だろうと考えたのが「ワイン」です。既にフランスのワインは有名でしたが、海外の美食家からは、「どのワインが上質なのか分からない」といわれていました。そこで、当時のフランス第二帝政の皇帝(在位:1852年~1870年)、ナポレオン3世(有名なナポレオン1世=ナポレオン・ボナパルトの甥)は「万博に訪れる観光客用に分かりやすい指標」を作る指示をボルドー商工会議所に命じました。それを受けた商工会議所は、ボルドーの多数のワインを熟知している仲買人組合に「五つの級に格付けせよ」と丸投げしたそうです。本来なら、仲買人達が一堂に会し、ワインを試飲して格付けを決めるところですが、試飲する時間がなく、ワインは嗜好品のため「好き嫌い」に優劣をつけられません。仲買人達も、この格付けが160年後には、日本のワイン愛好家までが暗記するほどの権威と威力を持つとは想像できず、気楽に考えていたようです。1樽958リットルあたり3000フラン以上が1級、2700~2500フランが2級、2400~2100フランが3級、1700~2000フランが4級、1600~1400フランを5級としたそうです。当時のレートが1フラン1,000円程度とすると、ワインボトル1本あたり約1,000円~3,000円以上って感じです。1855年の制定当時、格付けシャトーは58シャトーでしたが、分裂したり吸収合併したりで、2019年では61シャトーになっています。様々な経緯で決まった格付けですが、非常に重宝されており、中国で要人をもてなす場合、相手への敬意をワインで示すため1級シャトーのワインを振舞うそうです。このようにシャトーの格付けを決めるなど、フランス政府は、昔から全力でワインの後押しをしたのです。
しかし、近年、フランス国内だけでなく、世界的なワイン消費量の減少に歯止めがかからず、2023年には、最低値を更新しました。フランス国内はもとより、世界的に、若者を中心にアルコール消費量が減っている状況は、日本だけに限らず、世界的な傾向のようです。ただ、日本だけをみると、日本国内のワイン消費数量は40年で約8倍となるなど、着実に伸長しています。フランスからのワイン輸入量も増加しています。

■ワインの産地

■主なワイン産地と特徴

多くのボトルには生産国が表記されています。ヨーロッパであるならば、フランス、イタリア、スペイン、ドイツなどです。また、近年人気のオーストラリアやアメリカ、ニュージーランド、日本などもあります。続いて、さらに細かな産地が表記されているものもあります。国や産地によってワインの味わいなどの特色があります。
ワインを選ぶ時、産地をテーマにするのはわかりやすい方法のひとつです。ワインの原料は葡萄、葡萄は果物、果物は農作物ですから、気候風土や土壌の条件が大きく影響します。そしてそれらは、国や地域によってそれぞれ異なります。お好みのワインを産地ごとに探して、ご自分に合ったワインを見つけるのも良いかもしれません。

■フランス

ワインを語るうえで、まず外せないのがフランスです。歴史と伝統があり、品質の高い優れたワインが数多く造られています。特に、ボルドー地方とブルゴーニュ地方が2大産地として知られ、スパークリングワインの産地として世界的に有名なシャンパーニュ地方があります。ほかにもドイツに近いアルザス地方、フランス中央部のロワール地方、ローヌ川沿いの南北に広がるローヌ地方、地中海に面するプロヴァンス地方などがあります。地域ごとにワイン造りに適した気候や土壌を備えつつ、AOC(原産地統制呼称法)制度というワインの法律で醸造が管理されており、原産地を名乗ることができます。それゆえに安定した高品質ワイン造りが行なわれています。
■フランスワインのラベルにある「A.O.C.」について
フランスにおける 法律に基づいたワインの産地を示す呼び名で、「A.O.C.」は情報の宝庫です。
フランスワインのラベルに表記されている
「Appellation d’Origine Controlee」や「Appellation ○○○(生産地)Contorolee」が該当します。
実は、たくさんの情報を導き出すとても重要な表示です。
「Appellation d’Origine Controlee」、(頭文字をとって)「A.O.C.」について簡単にご説明します。
フランスにおける法律に基づいたワインの産地を示す呼び名で、「A.O.C.(=アペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ)」は、日本では通称「エー・オー・シー」と呼ばれることが多く、フランスワインの品質分類である「原産地統制呼称」のことを指します。
2009年からはEUの規定変更により「A.O.P.(Appellation d’Origine Protegee)」と書かれているものもありますが、基本の考え方は「A.O.C.」と同じです。​
品質分類により3段階に分かれますが、「固有の特徴をもつ産地に基づくトップカテゴリー」に付与される呼称が「A.O.C.」、または「A.O.P.」です。
​その具体例として、ラベルに「Appellation Chablis Controlee」と記載がある場合、「A.O.C.Chablis」の規定を満たし認定を受けたワインであるということがわかります。ここでの「Chablis」は、原産地名で、原産地が「シャブリ地区」であることを指します。シャブリ地区は、フランスのブルゴーニュ地方の北部に位置する有名なワイン産地です。
「Appellation」は、「原産地」の意で、「Controlee」は、「管理された」の意です。
「A.O.C.」を名乗るためには、様々な品質規格基準(産地、品種、収穫量、熟成法、試飲検査、など)をクリアする必要があります。フランスの農業製品、ワイン、チーズ、バターなどに対して与えられる認証であり、製造過程及び最終的な品質評価において、特定の条件を満たしたものにのみ付与される品質保証です。
基準を満たさなければ、「A.O.C.」で規制されている名称で製品を造ったり、販売することは禁じられています。
これら条件のおかげで、記載がなくても、ワインの産地や品種などを判断できるのです。
例えば、先にご紹介した「Appellation Chablis Controlee」からは、
・産地:シャブリ地区(フランスのブルゴーニュ地方の北部)
・品種:シャルドネ(この地区で造る白ワインは単一品種(シャルドネ)のみで醸造)
が読み取れます。
さらに、その産地について詳しく知っていれば、
・土壌:メインは、キンメリジャンと呼ばれる石灰質の土壌(大昔、海底にあった地層)
・気候:年間平均10度前後(果房の成熟期に気温が低いと成熟が進まず酸が高くなる)
ということまで検討がつきます。
その結果、このワインの味わいについて「ミネラル感豊富で爽やかな白ワイン」とおおよその想像がつくようになるという訳です。

■ボルドー地方

ボルドー地方は、フランス南西部に位置し、大西洋とそこに流れ込むジロンド川の支流に囲まれた地域です。その名は「水のほとり(Au bord de l’eau)」という古語から付いたといわれています。
海洋性気候と呼ばれる海の影響を強く受ける気候で、年間を通して温暖かつ降雨量が多い土地となっており、ワイン用葡萄の栽培地として最適な土地です。葡萄畑は、ピレネー山脈から流れる「ガロンヌ川」、中央高地から流れる「ドルドーニュ川」、ボルドー市のすぐ北で「ガロンヌ川」と「ドルドーニュ川」が合流して「ジロンド川」となり大西洋(ビスケー湾)に流れ込む流域に広がっています。川の上流から下流方向を見た際に右手側の岸を右岸、左手側の岸を左岸と呼び、右岸と左岸どちらで造られたかによってボルドーワインの味わいは大きく異なります。恵まれた土壌と環境で生産されるボルドーワインの特徴は、長期熟成が可能であることですが、特に気候と日照時間の条件が良く、完熟した葡萄が収穫された年に生産されたワインは「当たり年(グレートヴィンテージ)」と呼ばれ、人気があります。近年では、2015年、2016年、2018年がボルドーにおけるグレートヴィンテージといわれています。
広大な畑の中にシャトー(城)のような醸造所が建つ景色も美しく、ワインのラベルにシャトーをデザインしたものも多くあります。赤ワインの生産量が多く、複数の葡萄品種をブレンドしています。有名な5大シャトーの第1級ワインから第5級まで、シャトーからなるメドック格付けは、世界のワイン選びの指標的存在にもなっています。
シャトーを直訳すると「城」ということになりますが、ボルドーの生産者は歴史的に、ワイン生産により富を築いていく中で、葡萄畑の近くに位置する醸造所に壮麗なお城を建て、ワイン造りを営んだ大規模な生産者も数多くいたことから、生産者自体のことをそのように呼ぶことになったと考えられます。ただ実際には、シャトーと名乗る生産者の全てが豪華なお城を所有しているわけではありません。
「シャトー」は、買い入れた葡萄からワインを造るのではなく、生産者が所有する畑で栽培された葡萄から造られたことも示しています。
■ボルドーで栽培されている主な葡萄品種
ボルドーでは、赤ワイン、白ワイン、ロゼワイン、スパークリングワイン、甘口から辛口と様々なタイプのワインが生み出されています。
その大きな特徴はほとんどのワインが数種類の葡萄品種をブレンド(アッサンブラージュ)して造られていることです。
同じくフランスの銘醸地、ブルゴーニュ地方では単一品種で造られるのと対称的です。
アッサンブラージュとは、日本語に置き換えると「調合」、つまりブレンドを意味する言葉ですが、ボルドーのワインは基本的に、いろいろな葡萄品種のワインをブレンドしてバランスをとりながら個性を生み出します。
一方さまざまな品種をブレンドするスタイルは、その年の各葡萄品種の出来に合わせてブレンドの比率を変えることで、一つの品種への依存を避けることができるという、リスクヘッジの役割も果たすことができます。
これは毎年の気候変動が激しいボルドー地方において、とても重要なことなのです。
■葡萄の品種の特徴
・カベルネ・ソーヴィニヨン(黒葡萄品種)
「カベルネ・ソーヴィニヨン」は、ボルドー原産で赤ワインを代表する王道の葡萄品種です。
果粒が小さく、果肉に対して種子が大きく、さらに果皮が黒く厚い葡萄なので、豊かなタンニンと深い色調を生みます。また、その豊かなタンニンがワインとなった時に長期熟成を可能にします。
比較的温暖な気候で水はけの良い土地でよく生育するため、ボルドーでは砂利質土壌のメドック地区でカベルネ・ソーヴィニヨンを主体としたワインが造られています。ただ、発芽と成熟が遅いやや晩熟型の葡萄のため、収穫の早いメルロやカベルネ・フランとブレンドすることで収穫期のリスクを回避しています。
また、カベルネ・ソーヴィニヨンから造られるワインは非常にはっきりとした個性を持っており、若いうちは特にカシスやブルーベリーのような果実の香りと、ピーマンや杉のような青っぽい香りが特徴的ですが、メルロ等とブレンドし熟成させることで香りや味わいにより複雑性が生まれ、ボリューム感のあるふくよかな味わいとなります。
・メルロ(黒葡萄ブドウ品種)
「メルロ」は、ボルドーで最も広い栽培面積を持つ葡萄品種で、カベルネ・ソーヴィニヨン同様ボルドーの赤ワインを代表する葡萄品種です。
果皮が薄く果粒が大きい葡萄なので、一般的にはタンニンが少なく、ふくよかで若いうちから飲みやすいワインになります。
生育においてはカベルネ・ソーヴィニヨンより冷たい土壌を好むため、粘土質土壌のサン・テミリオンやポムロールなど主にボルドー右岸の地域でメルロ主体のワインが造られています。
カベルネ・ソーヴィニヨンより成熟させるのが容易な上に早熟で多産のため、ボルドーではカベルネ・ソーヴィニヨンと混植することでバランスをとっています。
メルロは赤ワインの深い色合いを出すうえで欠かせない存在であり、プラムのようなフルーティな香りとやわらかいタンニン、ロースト香が飲みやすさを演出します。
熟成させるとイチジクのような香りを感じさせる鮮やかな変化もメルロの醍醐味といえます。
・カベルネ・フラン(黒葡萄品種)
「カベルネ・フラン」は、房が小さく青みを帯びた黒い果粒で、ブドウの外見はカベルネ・ソーヴィニヨンによく似ていますが、カベルネ・ソーヴィニヨンに比べると葡萄の発芽、成熟ともに1週間程度早く、涼しい環境下でも完熟させることが容易な葡萄です。
カベルネ・フランから造られるワインは、おおむねカベルネ・ソーヴィニヨンから造られるワインよりも色調が薄く、香りも控えめでタンニンも少ないのが特徴です。
よって、カベルネ・ソーヴィニヨンのワインより幾分早く熟成するため、ブレンドすることで飲み頃を調整する役割も果たしています。
ボルドーではメインとして使われることは少ないものの、木苺やすみれの花のような可憐な香りや、滑らかで程良い酸味のある上品な味わいに整えるなど、個性の強い品種同士をブレンドする際の優秀なまとめ役を担っています。
・ソーヴィニヨン・ブラン(白葡萄品種)
「ソーヴィニヨン・ブラン」は、ボルドーの辛口ワインでは欠かすことのできない品種です。
ソーヴィニヨン・ブランから造られるワインは一般的に青みがかった淡い黄色で、豊富な酸を持ち、柑橘類の香りとグリーンやハーブのニュアンスを漂わせた清涼感に溢れた味わいとなります。
単体では比較的早めに飲むタイプのワインとして造られることが多いのですが、ボルドーではセミヨンとブレンドすることで、骨格のしっかりとしたワインとなり、特に甘口に仕上げられた場合は長期熟成も可能なワインとなります。
・セミヨン(黒葡萄品種)
「セミヨン」は、中甘口と甘口ワインでは主要品種として、また辛口ワインでは一般的にソーヴィニヨン・ブランを補助する目的でブレンドされます。
セミヨンから造られるワインは熟成に耐え得るしっかりとしたボディになりますが、若いうちはあまり特徴がなく香りも乏しいため、強いアロマと高い酸を持つソーヴィニヨン・ブランとブレンドしてバランスを保っています。
また、ソーヴィニヨン・ブランを使用した辛口白ワインにブレンドすることで、味わいにボディを補う役目も果たしています。
そして、セミヨンと言えばボルドーの世界最高峰の甘口ワイン、ソーテルヌ(ボルドー地方で造られる極甘口の貴腐ワイン)に使用されている品種で、皮が薄く、貴腐菌がつきやすいという特徴があります。
セミヨンは熟成した甘口ワインでその真価を最大限に発揮し、ドライフルーツや蜂蜜など無類の素晴らしいブーケと華やかさをワインに与えます。

■フランスボルドーの代表的な産地

ボルドーはエリアを大きく「右岸」に「左岸」分けることができ、同じボルドー産のワインでもその違いによって味わいやスタイルが異なります。
■メドック地区
ジロンド河左岸、ボルドー市の北側位置するボルドーを代表する銘醸地です。
全長120kmのワイン生産地域のうち、ジロンド河口一帯をメドック地区と呼びますが、AOCとしては下流(北)の「メドック(旧バ・メドック)」と上流(南)の「オー・メドック」とで二つに分けられています。「バ」はフランス語で「下、低い」といった意味合いで、「オー」は「上、高い」という意味合いがあり、その名の通り格付けされているシャトーは全て(シャトー・オー・ブリオンを除く)、オー・メドックに位置し、産地としての価値もオー・メドックの方が上になります。バ・メドックという地名自体が地元の人達からするとなんとも侮辱的な地名だという事で、最近ではバ・メドックといわれることは殆ど無く、「バ」を取って単純に「メドック」と呼ばれています。格付けシャトーのスーパースター達を擁するオー・メドックには劣るとはいえ、メドック(旧バ・メドック)のワインの質が悪いかというと、そんな事はありません。ACボルドー、ボルドー・シュペリュールはもちろんですが、コート・ド・カスティヨンやブライ、コート・ド・ブールといったアペラシオン(原産地呼称)よりは格上の存在です。
2003年当時、ブルジョワ級の中でも9つしか選ばれなかった最上級ランクのクリュ・ブルジョワ・エクセプショネルにも名を連ね、ボルドーで最もお買い得なワインの一つともいわれるシャトー・ポタンサックは、このメドック(旧・バメドック)にあります。その品質は中途半端なオー・メドックの格付けシャトーを上回ることもあるという事は、買い物上手のボルドーワインファンなら皆知っています(格付けシャトーより安く買えるということも)。無名ながらも樽を贅沢に使った作りをするシャトーも多くあり、まだ日本では知名度の無いシャトーの中に掘出し物もありますので、オー・メドックと比べて価格もリーズナブルな点からも、オー・メドックとの違いは認識した上で、注目に値するアペラシオンだと思います。オー・メドックと比べれば若いうちから楽しめるワインが多いですが、それでも5年程度は熟成させたいところです。ヴィンテージにもよりますが、5年~10年程度で楽しむのが良いと思います。もちろん、ラベルを見る際には、AOCメドック(Medoc)とAOCオー・メドック(Haut-Medoc)では価値観が違いますので、注意が必要です。AOCメドックのワインを、ラフィットやラトゥールと同じ産地と間違い易いように表記している場合もあります。
オー・メドックでは砂利質が強いため、水はけが良く暖かい土壌を好むカベルネ・ソーヴィニヨンが主に栽培されており、メドックでは粘土質が強くなるため、オー・メドックと比べてメルロの栽培比率が高くなっています。
また、オー・メドックは、1855年にナポレオン3世による有名な格付けが行われた地域です。
格付けされたシャトーはグラン・クリュを名乗ることを許され、さらにその中で1級から5級までにランク分けされており、「ボルドーの5大シャトー」とは、この地区の格付け1級に属する五つのシャトーのことを指します。
■サン・テミリオン地区
ポムロールに隣接するグラーヴ(砂利)エリアと、街の周囲に拡がるプラトー(台地)エリア、二つの土壌を持つのが特徴です。
グラーヴエリアでは砂礫質に向いたカベルネ・フランやカベルネ・ソーヴィニヨンが多く栽培されており、右岸の中でも独特なスタイルのワインを生産しています。シャトー・シュヴァル・ブランがこのエリアの代表的なワインです。
一方、サン・テミリオンの街周辺の台地では、粘土石灰質土壌から優美な味わいのメルロ主体のワインが造られています。サン・テミリオンを代表するシャトー・オーゾンヌはこちらに属します。
■グラーヴ地区
オー・メドックの上流、ガロンヌ川沿い左岸に広がる産地です。メドックよりも深い砂礫質の土壌が拡がっているため排水性がさらに良く、雨の多かった年には他の地区に比べて品質が高くなる傾向があります。
ワインはカベルネ・ソーヴィニヨン主体で造られていますが、土壌の違いからオー・メドックと比べると軽やかで芳香性の高いワインが多いです。
5大シャトーの一角シャトー・オー・ブリオンは、この地域にありながらも例外的にメドックの格付けに選ばれたことで知られています。
■ペサック・レオニャン地区
グラーヴ地区の北部、ボルドー市の南側に位置するエリアです。
低い丘が連なった地形で、砂が少なく砂利が多い土壌であるため、タンニンと酸のしっかりとした芯の強さがありながら、優美な印象も兼ね備えた、長期熟成型のワインが生み出されます。そんなペサック・レオニャンは、メドックがまだ沼地だったローマ時代からワイン造りが行われていた歴史があります。いわばボルドーワイン発祥の地でもあります。グラーヴ地区には、相当な数のコミューンがありますが、メドックのポイヤックやサンジュリアンのように独立したAOCがありません。これはグラーヴのワインに歴史的に、はっきりとした個性を持つ傑出した村がなかったことが一番の原因で、1989年になってようやくペサック・レオニャン(AOCペサック・レオニャン)という独自のAOCが認められるようになりました。
ペサック・レオニャン地区は、グラーヴ地区内の北部なので、メドック地区以外から唯一格付けされたシャトー・オー・ブリオンは、グラーヴ地区内で、更にペサック・レオニャン地区となります。

■ボルドー地区の格付

ボルドーのAOCは下から地方名AOC、地区名AOC、村名AOCまでで、ブルゴーニュのように1級や特級などの畑ごとの格付けはありません。
その代わりボルドーには、四つの地区にそれぞれ独自の格付けがあります。
1855年に発表された「メドックの格付け」を始め、ボルドーのワインは歴史的に生産者に対して格付けの実施が行われてきました。メドック、グラーヴ、サン・テミリオン、ソーテルヌ等、地区ごとに独自の格付けが存在し、さまざまな波紋を起こしながらも、ボルドーワインの世界的な知名度の上昇、発展に寄与しています。格付けにより知名度を確立してきたワインが存在する一方で、格付けに認定されていないワインであっても、世界のワインラヴァーを魅了する素晴らしいワインが数多く存在していることも事実です。

■メドック格付け(メドック地区)

1855年に開催されたパリ万国博覧会の展示品の一つとして、時の皇帝ナポレオン3世の要請を受け、ボルドー商工会議所によって作成されました。
赤ワインと白ワインの二つの格付けが発表されましたが、一般的に1855年の格付けといえばメドックの赤ワインの格付けを指します。
建前的にはジロンド県内すべてのシャトーを対象としたものですが、作成したのがボルドー商工会議所のため、リブルヌ商工会議所が管轄するドルドーニュ川右岸のサン・テミリオンやポムロールのシャトーは顧みられず、赤ワインの格付けはメドックのシャトーに限定されました。
ただし、唯一の例外として、当時から名声の高かったシャトー・オー・ブリオンがグラーヴから選定されています。なお、格付けは試飲によって決められたものではなく、過去数十年にわたる取引価格をもとに決定されました。
メドックの格付けは第1級から第5級までの5等級あり、1855年4月18日に発表された当初は合計57のシャトーが選ばれました。その後相続による分割や他のシャトーへの吸収などを経て、現在、第1級に5シャトー、第2級に14シャトー、第3級に14シャトー、第4級に10シャトー、第5級に18シャトーの合計61シャトーが格付け表に名を連ねています。
特筆すべきは1855年の制定以来1度だけ見直しが行われ、1973年に第2級のシャトー・ムートン・ロスチャイルドが第1級に昇格したことです。しかし、それ以降見直しは一切行われず、今後も行われる様子はありません。
■グラーヴ格付け(グラーヴ地区)
1855年の格付けでシャトー・オー・ブリオンを唯一の例外としてグラーヴのワインが選ばれなかったことから、生産者組合の要請に応じ、I.N.A.O.(国立原産地および品質機関)が任命した審査委員会によって作成されました。
メドックの格付け制定から100年近く後の1953年に発表され、1959年に承認されています。
グラーヴの格付けに階級分けはなく、16のシャトー名がワインの色とともに列挙されています。具体的には赤ワインが選出されたのが7シャトー、白ワインが選出されたのが3シャトー、赤ワインと白ワインの両方が選出されたのが6シャトーの合計16シャトーです。
もちろん、メドックの格付けで第1級に選ばれた赤ワインのシャトー・オー・ブリオンもこの格付けに入っています。しかし、白ワインは生産量があまりにも少なくオーナーが辞退したため、格付けに入っていません。
なお、グラーヴの格付けシャトーは全て1987年に制定されたA.O.C.ペサック・レオニャンに属しています。
■ソーテルヌ格付け(ソーテルヌ地区)
前述の通り一般的に1855年の格付けと言えばメドックの赤ワインの格付けを指すためあまり知られていませんが、同年のパリ万国博覧会では白ワインも格付けされています。
対象はソーテルヌとバルザック地区の甘口ワインとされました。
等級は三つに分かれており、別格扱いの最高クラスであるプルミエ・クリュ・シュペリュールにはシャトー・ディケムただひとつ、第1級のプルミエ・クリュに11シャトー、第2級のドゥージエム・クリュに15シャトーの合計27シャトーが格付けされています。
■サン・テミリオン格付け(サン・テミリオン地区)
グラーヴの格付け同様、1855年のメドックの格付けの約100年後に制定されました。
そして、メドックの格付けが160年以上たった今でも一部の例外を除いてほとんど変わっていないのに対して、生産者主導で行われるサン・テミリオンの格付けは10年ごとに見直しが行われます。これまでに1969年、1986年、1996年、2006年、2012年、2022年の7回にわたって改訂されました。
格付けは第1特別級のプルミエ・グラン・クリュ・クラッセと特別級のグラン・クリュ・クラッセからなりますが、プルミエ・グラン・クリュ・クラッセは上級の「A」と下級の「B」に分かれるため、実際には3階級となります。
最高位のプルミエ・グラン・クリュ・クラッセ「A」はこれまでシャトー・アンジェリュス、シャトー・オーゾンヌ、シャトー・シュヴァル・ブラン、シャトー・パヴィの4シャトーとなっていましたが、2022年の最新の格付けでは辞退・撤退などにより、シャトー・パヴィだけが残る事態になり、同時に、これまでプルミエ・グラン・クリュ・クラッセ「B」に格付けされていたシャトー・フィジャックが「A」に昇格したため、プルミエ・グラン・クリュ・クラッセ「A」に格付けされたシャトーは2つとなりました。
その他、プルミエ・グラン・クリュ・クラッセ「B」が12シャトー、グラン・クリュ・クラッセが71シャトーとなっています。

■ブルゴーニュ地方

ボルドーと並ぶ主要生産地で、パリの南東に位置します。生産量はボルドーに比べると少なく、葡萄栽培から醸造・瓶詰めまで一貫して行うドメーヌワインと、買い付けたワインを醸造するメゾンワインがあります。ボルドーが「シャトー」で格付けされるのに対し、ブルゴーニュでは「クリマ(畑)」で決められます。道を1本挟んだ畑ちがいで、ワインの価格が格段に異なるのもブルゴーニュならではです。基本的には、赤も白ワインも単一の葡萄で醸造し、繊細で香り高いワインが多いのが特徴です。
ブルゴーニュの格付けは、簡単に言うと畑に対する評価です。
比べられるボルドーでは生産者に格付けがされます。例えば、ボルドーワインのシャトー・マルゴーは第一級ですが、このワインを造っている生産者に格付けがつくので、ワインも1つしかありません。
しかし、ブルゴーニュでは、長い年月をかけて別れてきた畑(クリマやリュー・ディ)にいくつもの生産者がワインを造っています。
同じ村の同じ畑でも、生産者が違えば、同じ格付けで同じワイン名でも味わいが異なるワインが多数あることになります。
ブルゴーニュでは家族経営が多いため、現当主(父)の引退後に、子供たちが畑を分割相続することがあります。 そうなると1つの畑がさらに分割されます。例えば3人子供がいる場合、ドメーヌを引き継いだ長男はそのままですが、独立した二男に畑が割当てられ、娘が別のドメーヌに嫁いだ時は相手の家族の畑になったり、さらに細分化することが多々あります。
ここが難しいのですが、ブルゴーニュワインラヴァーにとっては非常に重要になってきます。
より日当たりや水捌け、土壌などの条件のよい畑を受継ぐのかがキーになってきます。

■ブルゴーニュの格付けの種類

この格付は、特にシャブリ地区、コート・ド・ニュイ地区、コート・ド・ボーヌ地区は しっかり三角形が出来ており、上からグラン・クリュ(特級畑、1.5%、33)、プルミエ・クリュ(1級畑、10%)、コミュナル(村名、37.5%)、レジョナル(地区名、51%)とわ分かれます。
ボルドーなどでは、地域によって格付けがあり違いもありますが、 ブルゴーニュワインはすべてこの三角形に入り、他の格付けはありません。この三角形はA.O.P.(原産地呼称保護ワイン,以前のA.O.C.)のみで、この下にI.G.P.(地理的表示保護ワイン)、さらにV.d.T.(日常的テーブルワイン)があります。
日本に輸入されているブルゴーニュワインは、ほとんどが三角形内のA.O.P.ワインです。
ボルドーワインは、それぞれのワインによってラベルが違います。ブルゴーニュワインでは、同じ生産者の格付け違いの場合、記載の字が違うだけで、大きくラベルが変わらないので、見分けがつかない生産者も多数あります。

■ブルゴーニュワインの地域

ブルゴーニュワインと名前をつけるためにはいくつかの約束事がありますが、ブルゴーニュ地域圏の6つの地域で⽣産されたワインでないと、ブルゴーニュワインと名乗ることはできません。地域によってさまざまな味の特徴がありますので、地域名から選ぶということもおすすめです。
■シャブリ地区
爽やかな酸味が特徴的です。
シャブリ地区は石灰岩質を多く含んだ土壌が特徴の産地です。そのため、ミネラル分が豊富で、さらに爽やかな酸味が感じられる辛口の白ワインで知られています。白ワインがお好きな方や、特においしい白ワインを飲みたい方は、シャブリ地区のワインがおすすめです。なお、シャブリは白ワインだけで、4つの等級に分かれます。位が高いものから、特級の「シャブリ・グラン・クリュ」、続いて「シャブリ・プルミエ・クリュ」「シャブリ」、シャルドネ種以外にアリゴテ種も使用できる「プティ・シャブリ」の順番です。
■コート・ド・ニュイ地区
ロマネ・コンティを生み出した地区です。
フランスの東部、黄金の丘とも呼ばれるコート・ドール県の北部に位置するのが、コート・ド・ニュイ地区です。辛口の赤ワインの産地としても有名で、誰もが1度は聞いたことがあるであろう「ロマネ・コンティ」や「シャンベルタン」などを生み出しました。
長期熟成タイプが多いため、赤ワインの中でもしっかりとした骨格が感じられる味わいが好みの人におすすめの産地です。ジュヴレ シャンベルタンは村名および村名ワインであり、シャンベルタンはシャンベルタン村の中の1級畑のワインということになります。「ロマネ・コンティ」とはフランス、ブルゴーニュ地方のヴォーヌ・ロマネ村にある特級格付けの銘醸(めいじょう)畑の名前です。およびそこの葡萄からつくられる赤ワインを指します。ロマネ・コンティが特別なのはモノポール、単独所有畑である点です。
ブルゴーニュワインは畑名+生産者名で表記されます。ブルゴーニュでは一つの畑をいくつもの生産者が分割所有しているのが普通です。有名な特級畑として、例えば「ナポレオンが愛したワイン」として有名な「シャンベルタン」という畑があります。シャンベルタンは分割所有されています。栽培農家が葡萄を販売して、別の生産者の名前でワインをつくることもあります。だから何十種類もの「シャンベルタン」というワインが存在します。
それに対して「ロマネ・コンティ」の畑はモノポール、単独所有されています。ブルゴーニュワインは畑名と生産者名をセットにしないと1種類のワインに定まらないのです。
ロマネ・コンティの生産者は「ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ Domaine de la Romanee Conti(略称DRC)」といいます。名前にも「ロマネ・コンティ」と入っているのです。通常は「ロマネ・コンティ」といえばそのワインを指します。しかし生産者名のことをいっているのかもしれない場合もあります。ヴィンテージやサイズの違いはあるものの、「ロマネ・コンティ」といえば1種類だけ。もしもロマネ・コンティの種類についての話が出たとすると、それはDRC(生産者としてのロマネ・コンティ)がつくる他のワインという意味だと推測されます。
■コート・ド・ボーヌ地区
ワイン通に愛好者が多いです。
コート・ド・ボーヌ地区は、赤ワイン、白ワインも両方ともに良作が多いことで知られています。良質な葡萄を産する畑が多く、特に有名なのはムルソーと呼ばれる地域です。特級畑に近い1級畑でとれるシャルドネから作られる白ワインは、コクとフルーティな香りが特徴で、フランスの三大白ワイン(ムルソー、ピュリニー・モンラッシェ、シャサーニュ・モンラッシェの3村は、ブルゴーニュ三大白)にも選ばれるほどです。
飛びぬけて有名な地区ではありませんが、フルーティな白ワインが好きな人にはぜひ一度飲んでみてほしい産地です。
■コート・シャロネーズ地区
気軽に楽しめるブルゴーニュワインを探しているなら、コート・シャロネーズ地区のワインもおすすめです。白ワインは南国風味の芳醇な果実感が特徴で、赤ワインは軽快な味わいで知られています。特級畑はないため、価格も手頃なものが多く、気軽に楽しむことができるブルゴーニュワインが豊富に揃っています。
■マコネー地区
フルーティな香りが特徴です。岩石質の土壌が多いことで知られているのがマコネー地区です。その土壌を生かしたフレッシュなガメイ種と呼ばれる葡萄を使用した赤ワインや、フローラルで薫り高い白ワインなどを産出しています。特にマコン村付近では、爽やかでバランスのとれた白ワインを産出し、コストパフォーマンスが高いので、普段使いにぴったりです。
■ボジョレー地区
日本で知名度が高いです。毎年11月になるとニュースなどでも話題になるボジョレー・ヌーボーを産むのがボジョレー地区です。ガメイ種と呼ばれる葡萄を使用することが約束事になっており、基本的に早飲みタイプのワインが多く作られます。濃い色合いや野いちごのような味わいが特徴で、赤ワイン、白ワイン、ロゼなども人気。手軽に飲める高品質なワインを数多く産出する地区です。ボジョレー・ヌーボーの解禁時期を中心に購入しやすい値段と軽やかな味わいのワインが多く販売されるため、ブルゴーニュワインを気軽に試してみたい人におすすめです。

■シャンパーニュ地方

「シャンパン(シャンパーニュ)」で有名です。フランス北東部に位置します。この地区で栽培された葡萄を使用し、法律による厳しい条件のもとで醸造された発泡性ワインだけが「シャンパーニュ」と名乗ることが許されます。村ごとの単位での格付けが行われ、「モンターニュ・ド・ランス」をはじめ、4地区のブドウ栽培地から白、赤、ロゼの3種が造られていますが、白葡萄のみで造られたものをブラン・ド・ブラン、黒葡萄のみで醸造したものをブラン・ド・ノワールと呼びます。味わいは、辛口の「ブリュット」から甘口の「ドゥー」まで、様々な味わいが楽しめます。

■フランス内その他の産地

その他にも国の広域にわたってワインが造られています。
フランスの北部から順にご紹介すると、
■アルザス地方
主に白ワインを醸造するドイツ国境付近です。
■ロワール地方
フランス最大の大河で国の中央部を流れるロワール川流域です。
■ローヌ地方
「太陽のワイン」と称されるワインを生み出すローヌ川流域です。
■プロヴァンス地方
フランス南部です。ロゼワインの産地として知られます。
■ラングドック・ルーション地方
フランス最南部です。生産量が最も多いとされています。
■南西地方
黒ワインと呼ばれるカオールなどの個性的なワインを醸造しています。

■イタリアワインの産地

気候風土、地理的にも葡萄栽培に適した理想の条件を備えています。ワイン生産量をフランスと競い合い、消費量では世界一の年もあります。1位から3位を常にイタリア、フランス、スペインで競っています。20州すべてでワインを生産しており、葡萄品種は300種以上です。味わいも生産地によって個性豊かで、イタリアワインは「多様性」が魅力のひとつです。2015年5月から制定された新たなワイン法で管理されており、厳格な順から「保護原産地呼称ワイン(通称D.O.P.)」、「保護地理表示ワイン(通称I.G.P.)」、地理表示のない「ヴィーノ」と続きます。またワイン法制定以前にあったDOCG、DOC、IGTなどの表示も認められています。
■トスカーナ地方
イタリア中部に位置します。ここでは高品質な赤ワインが多く造られ、「キャンティ」、「キャンティ・クラシコ」、「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」、「ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチアーノ」など、世界的に有名なワインが並びます。また、法律にとらわれない自由な発想で生み出されたスタイルの「スーパータスカン」と呼ばれるワインもあり、イタリアワインの最先端を走り続ける産地ともいえます。
■ピエモンテ地方
「山の麓(ふもと)」を意味します。その名の通り、アルプス山脈の南側に美しい葡萄畑が広がっています。トスカーナ地方と並ぶ高級ワイン産地として知られ、銘醸ワインの宝庫ともいわれています。特に「ワインの王であり、王のワイン」と称えられる赤ワイン「バローロ」は世界的名声を誇っています。基本的にピエモンテでは、単一品種によるワインが多く醸造されているのが特徴です。
■イタリア そのほかの産地
北イタリアでは、北東部のトレンティーノ・アルト・アディジェ州が知られます。またフリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州では、冷涼な気候を生かしたワインを醸造しています。ヴェネト地方では、赤ワインの「アマローネ」、白ワインでは「ソアヴェ」、発泡性ワインでは「プロセッコ」などが有名です。北西部のロンバルディア州では、フランスのシャンパーニュに並ぶ発泡性ワイン「フランチャコルタ」が醸造されています。

■スペインワインの産地

葡萄の栽培面積が世界一とされています。ほぼ国内全域でワインが生産されています。特に、人気の「カヴァ」と呼ばれる発泡性ワインは、北部地中海側のカタルーニャ地方で多く造られています。また赤ワインはマドリード近くのリオハや内陸部のリベラ・デル・ドゥエロ、カタルーニャ海岸地域のプリオラートが有名です。南部のアンダルシア地方は酒精強化ワイン「シェリー」の生産地として知られます。

■ ドイツワインの産地

北方気候のドイツでは、フレッシュで果実味の豊かなものが多く醸造されています。白ワインに適した伝統的な産地ですが、甘めのワインをはじめ食中酒としておすすめの「辛口(トロッケン)」や「中辛口(ハルプトロッケン)」が生産されています。多くの葡萄品種が栽培されていますが、ブレンドすることなく単一品種で醸造するのが特徴です。

■ アメリカワインの産地

ヨーロッパ以外で、日本人によく知られ親しまれているワインを生産しているのがアメリカです。中でもカリフォルニア州が、全米の大部分を占めています。とりわけサンフランシスコ近郊のナパヴァレー地区の高品質な赤ワインが有名ですが、近年では冷涼な気候のソノマ地区の白ワインや、南部のパソロブレス地区のワインも人気が高まっています。

■オーストラリアワインの産地

ヨーロッパよりも広い面積を持つことから、テロワール(土壌・気候など)が豊かであるという特徴があります。同じ葡萄品種でも、個性の異なる魅力的なワインが醸造されています。特に夏は暑く、冬は雨の多い南オーストラリア州は葡萄栽培の好適地で、オーストラリア最大の生産量を誇ります。またニュー・サウス・ウェールズ州や、パースのスワン・ヴァレーを中心に質の高いワインが造られています。品種は黒葡萄ではシラーズ、白葡萄ではシャルドネが代表的です。

■チリワインの産地

日本の国別ワイン輸入量の第1位です。
チリワインが、日本で人気のある理由は、コストパフォーマンスが良い点です。
具体的には、チリワインのコストの安さはいくつか要因があり、1つは、チリが葡萄の栽培に適しており、葡萄が大量に生産できること、2つ目に、のちほど詳しくご説明しますが、チリと日本は2007年にEPA(「Economic Partnership Agreement」の略称,経済連携協定)が発効されたことにより、チリワインの関税がかからないこと、3つ目に、チリの人件費が安いため、生産にかかるコストを抑えられる点があげられます。
日本のワインの輸入量で2015年以降1位を独走しているのがチリワイン(2019年統計)です。
チリワインの輸入量は全体の約3割弱を占めていて、これは2位のフランスワインとほぼ同じくらいの割合です。
今から10年ちょっと前まではフランスワインが日本の輸入量の約4割を占めていましたが、2007年9月に日本とチリでEPAが発効されたことにより、2007年時点では、8.8%だったチリワインがEPAにより段階的に関税が引き下げられ、2019年にはこの関税が撤廃されて、完全に0になったことで、輸入量が年々増加し、2015年からはフランスを抜いて1位になりました。しかし、日欧EPAが2019年2月に発効され、ワインの関税は即時撤廃となりました。これにより、チリ産ワインの価格優位性が劣り、2020年、2021年、2022年と、フランスが1位に返り咲いています。
また、非発泡性のスティルワインは、近年フランスとチリが競っていますが、発泡性のスパークリングワイン(シャンパーニュなど)は、チリからの輸入量が極端に少ないことが原因と考えられます。
チリは、南北に細長くブドウ栽培地域は約1400kmに広がっており、多様なワインが造られています。食事と一緒に気軽に楽しめるデイリーワインのイメージが強いチリワインですが、一方でカベルネ・ソーヴィニヨンやメルローなどの国際品種を用いたプレミアムワインも注目されています。

■日本ワインの産地

国産葡萄を国内で醸造したものを「日本ワイン」と呼びます。一方「国産ワイン」と呼ばれるものは、輸入した葡萄を原料に含むワインを言います。北は北海道から南は沖縄まで葡萄が栽培され、その土地ごとの個性が醸されます。有名な産地の筆頭は山梨で、日本固有種の甲州葡萄、マスカット・ベリーAといった品種を中心に美味しいワインが醸造されています。そのほか長野や北海道、山形でもワイン造りが広がっています。いずれのワインも日本料理とよく調和し、日本ならではの食とのマリアージュが楽しめます。

■ワインの分類

■醸造方法による分類

醸造方法の違いにより大きく四つに分類されます。
①通常の一般的なワイン(スティルワイン)
炭酸ガスを含まないワインです。
②スパークリングワイン(発泡性ワイン)
炭酸ガスを含むワインです。
「シャンパン(シャンパーニュ)」は、フランスのシャンパーニュ地方で作られているスパークリングワインの一種です。
③フレーヴァード・ワイン(混成ワイン)
赤ワインに、一口大またはスライスした果物と甘味料を入れたスペインのサングリアや、イタリア・フランス・スペインのヴェルモット(ベルモット、ニガヨモギ)のように、ワインにフルーツやスパイスなどの他の材料を加えて風味を添えたワインです。
 ※但し、ヴェルモットやサングリアの多くは、日本の酒税法上は果実酒ではなく、甘味果実酒に分類されます。分類方法により、混成ワインや酒精強化ワインに分類される場合があります。
 ※ちなみに、無免許での自家製サングリアの製造・販売は、酒税法違反です。
④フォーティファイドワイン(酒精強化ワイン)
醸造工程中にブランデー等のアルコールを添加して、ワイン全体のアルコール分を高め、味にコクを持たせ保存性を高めたワインです。
四大酒精強化ワインや果実酒に薬草等を浸漬させたヴェルモット(ベルモット)が有名です。分類方法により、混成ワインや酒精強化ワインに分類される場合があります。
日本の酒税法では、甘味果実酒に分類されます。「フォーティファイドワイン(アルコール強化ワイン)の多くや、薬草、香料、色素などを原料としたアロマタイズドワイン(フレーバードワイン、混成ワイン)は、酒税法上、果実酒ではなく甘味果実酒に分類されます。国税庁は、“フォーティファイドワインのうち、わが国では酒税法により、一部、果実酒に分類されるものもあります。”としており、また、違いが分かりにくいとされているのも事実です。
■四大酒精強化ワイン
①シェリー(スペイン)
シェリー酒とは、スペイン・アンダルシア地方のヘレス周辺で造られる酒精強化ワインです。一言にシェリー酒といっても、辛口のフィノから極甘口のペドロ・ヒメネスまで、非常に多様なタイプがあり「シェリー酒の味わいはコレ!」と一括りにできない難しさがあります。そのせいか、日本ではシェリー「酒」と呼ばれることが多く、独自のカテゴリーと認識されがちですが、実は立派なワインです。ボルドーやブルゴーニュと同じようにシェリーと呼ばれるワイン(産地)なのです。呼称統制があり、この地方で作られたブドウを用い、この場所で製造されたワインのみがシェリーの名を許されます。
■シェリー酒の種類
●フィノ(タイプ、辛口)
フィノは、すっきりとした辛口タイプのシェリー酒です。
淡い金色で、アーモンドのような香りがあり、軽い口当たりとなります。
シェリーのタイプのひとつで、フロールの膜の下で熟成するためフロールの香りがつきます。フロールとは、樽で熟成させる際に出来る一種の上皮のような酵母の白い膜のことです。
●マンサニーリャ(フィノの一種、地域)
マンサニーリャは、色も味わいもフィノに似ています。
フィノと異なるのは産地です。
サンルーカル・デ・バラメーダ産のものがマンサニーリャと呼ばれます。
●アモンティリャード(タイプ、フィノとオロロソの中間)
フィノを7年ほど熟成させ、しっとりした味に仕上げたものがアモンティリャードです。
ヘーゼルナッツのような味があり、フィノよりアルコール度数がやや高く、琥珀色をしたワインです。
●オロロソ(タイプ、甘い香り)
オロロソは、香り高いという意味を持ち、フロールを発生させず、酵母の影響を与えずに熟成させた酸化熟成タイプです。
シェリー酒の中でもアルコール度数が高く、17~22度ほどです。
刺激的な香りでコクのある辛口ワインです。
●クリーム(タイプ、甘口、オロロソに極甘口のシェリーを加える)
クリームは、オロロソに極甘口のシェリーの甘味を加えたシェリー酒です。
甘口のクリームは食後酒に適しています。
●モスカテル(ブドウの品種、甘口タイプ)
マスカット系の品種の白ブドウのモスカテルを使って造られたシェリー酒です。
マスカット系の香りや味わいのある甘口タイプのワインです。
●ペドロ・ヒメネス(ブドウの品種、極甘口タイプ)
スペイン産の白ワイン用ブドウ品種ペドロ・ヒメネスというブドウ品種を使ったシェリー酒のことです。
黒に近い濃い色をしているのが特徴的。非常に甘いワインです。
②マデイラワイン(ポルトガル)
モロッコの西600キロの海上にあるマデイラ島(ポルトガル領)で作られます。発酵させたブドウ果汁を樽詰めし、樽ごと乾燥炉に入れて約50度で3-6ヶ月間加熱処理(エストファ)した上でブランデーを加えて作ります。
マデイラワインには下記のタイプがあります。
●セルシアル (辛口)
●ヴェルデーリョ (中辛口)
●ブアル(中甘口)
●マルムジー(暗褐色をした甘口)
③ポートワイン(ポルトガル)
ポルトー・ワインともいいます。日本に初めてもたらされたワインとされており、その出荷港がポルト港であったためにこの名が付きました。ポルトガル北部のドウロ川沿岸が産地です。原料となるブドウの品種は多彩で、全29種がポートワインの推奨品種となっています。発酵途中にブランデーを加えるため甘口となります。オーストラリアや南アフリカでもポート・タイプのワインが作られています。ポートワインには以下のタイプがあります。
●ルビー・ポート
若い甘口で熟成期間が2-3年と短く、果実香が豊か。もっとも一般的なタイプ。
●ホワイト・ポート
白ブドウを原料とする。甘口から辛口まである。
●トウニー・ポート
黄褐色をしている。熟成期間は10年程度。安価なものから高級品まで。
●ヴィンテージ・ポート
作柄のよい年に収穫されたブドウだけで作られる高級品。さらに澱(おり、沈んだカス)を丁寧に除いたレイト・ボトルド・ヴィンテージ・ポートもあります。
サントリーの初のヒット商品ともいわれる「赤玉スイートワイン」は、1907年(明治40年)に赤玉ポートワインとして発売されましたが、“ポートワイン”と表記されていることをポルトガル政府より抗議され、マドリッド協定に従い、1973年(昭和48年)に現在の名称である「赤玉スイートワイン」に改称されました。
④マルサラ(イタリア)
シチリア島が産地。1773年、イギリスの商人ジョン・ウッドハウスがマルサラでマデイラワインをまねて作ったのが最初とされています。熟成度合によって以下の3タイプがあります。
●フィーネ : 4ヶ月以上熟成、甘口。
●スペリオーレ : 2年以上熟成、辛口が主体。
●ヴェルジーネ : 5年以上熟成、辛口。

■ワインの色による分類

ワインは色の種類から大きく四つに分類されます。
①赤ワイン
黒葡萄の果汁と果皮と種が混ざった状態でアルコール発酵させます。
よく「赤ワインは常温」といわれますが、室温は赤ワインであってもやや高いため、少し冷やした状態がおすすめです。
②白ワイン
白葡萄の果汁だけをアルコール発酵させます。
③ロゼワイン
黒葡萄で作る白ワインで、果皮は最初に絞る時だけで、圧搾して得られた果汁のみをアルコール発酵させます。
④オレンジワイン
白葡萄で作る赤ワインで、赤ワインのように果汁と果皮や種を一緒にアルコール発酵させます。

■ワインのボディによる分類

ボディ(Body)とは「身体」という意味です。ワインの味を表現する言葉として「男性的」「女性的」と表現されることが多いことから、ワインの味をボディと表現するようになったとされます。
ワインの味は「フルボディ」「ミディアムボディ」「ライトボディ」の3種類があり、渋みや苦味、重厚感などに応じて分類されます。また、ボディで分けられるのは赤ワインのみです。
ちなみに、白ワインやロゼの場合は「極甘口」「甘口」「やや甘口」「やや辛口」「辛口」「ごく辛口」という分類がなされることが多いです。
■フルボディ
フルボディは味が濃く、渋みや苦味が強めの重厚なワインのことを指します。口当たりは軽くても余韻が長く感じられるもの、徐々に余韻が強く感じられるようなワインもフルボディに分類されます。あえて日本語で表現するなら「重たいワイン」です。香りは強く複雑で、色も濃く、いかにも濃厚そうな印象があります。
赤ワインは黒ぶどうの果実を皮や種子ごと潰して発酵させます。タンニンが多く含まれるため、白ワインと比べて渋みや苦味が感じられます。長い熟成期間を経て、それらがさらに濃縮され、フルボディのワインが出来上がります。また、ぶどう果実に含まれている糖分が熟成させることでアルコールに変化するため、フルボディのワインはアルコール度数が高いのも特徴です。
ワインの味が重厚なため、料理に関してもこってりとしていて濃いめの味付けのもの、具体的にはビーフステーキやビーフシチューなどによく合います。
じっくりと熟成させた高級なワインはフルボディが多いですが、すべての高級ワインがフルボディとは限りません。たとえばブルゴーニュワインはピノ・ノワールというぶどう品種が原料です。ポリフェノールの含有量が他の黒ぶどう種よりも少ないため、ブルゴーニュワインは次に紹介するミディアムボディに分類されることもあります。
■ミディアム
ミディアムとは「中間の」という意味。その名の通りフルボディとライトボディの真ん中にあたります。フルボディよりは味が濃くないけど、ライトボディよりはしっかりとした味わいが感じられます。程よい渋みと苦味で、比較的初心者の方でも受け入れやすい、「万人向け」のボディです。
トマトソースを使った料理や中華料理などと愛称がよく、サバの味噌煮や鶏の照焼など和食ともよく合います。
ピノ・ノワールやメルロ、テンプラリーニョなど、幅広いぶどう種から醸造されます。基本的に製造工程はフルボディと同様ですが、熟成期間があまり長くないため、フルボディと比較するとアルコール度数が低く、渋みや苦味が抑えられています。
■ライトボディ
3つのボディの中では一番あっさりとしている、まさに「軽めのワイン」です。苦味や渋味は少なく、ぶどう本来のフレッシュな味わいが感じられます。香りについてもフルボディのような複雑でふくよかなアロマではなく、フレッシュな印象があります。
ワイン特有の苦味や渋味が苦手な方、ワイン初心者の方にも飲みやすい赤ワインです。あっさり、さっぱりとしているのでカレーをはじめとしたエスニック料理、和食とも相性ぴったりです。
熟成期間は極めて短く、いちばん有名なのは「ボージョレ・ヌーボー」。その年に収穫されたぶどうを原料として使っています。
先ほど高級ワイン≠フルボディということを解説しましたが、逆もしかり。ライトボディだから安価・品質が低いというわけではありません。

■ワインのボディの見分け方

実は「これはフルボディ」「これはミディアム」というような明確な基準はありません。あくまで生産者や流通業者がアルコール度数やぶどう品種、熟成期間や味などを総合的に判断して決めています。
味の感じ方は人それぞれ。ミディアムボディで物足りないと感じる人もいれば、重すぎると感じる人もいます。ボディはワイン選びの参考になりますが、あくまで「目安」と捉えておいてください。
まずはライトボディからはじめて、物足りないと思ったらミディアムボディに、慣れてきたらフルボディというように、段階的に選んでいくと、ご自身の好みに合ったワインが見つかることでしょう。

■ブドウの品種による分類

ワインのブドウ品種は、ヴィティス・ヴィニフェラ種という種に属していて、その土地にあったブドウが栽培され、どの品種も独特の個性を持っています。そして、なんと世界には10000もの品種があります。食用のブドウは果皮が薄く、種もあまりない実の部分がジューシーなものが好まれますが、ワイン用のブドウは、色素とアロマを含む果皮が厚く、赤ワイン用はタンニンを多く含む種が多いブドウが必要です。世界でワイン用に使われているブドウの品種は、赤ワイン用、白ワイン用合わせて約50種類ほどのブドウ品種があり、とくに、国際品種として挙げられるのが、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、ピノ・ノワール、シラーシャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、シュナン・ブラン、リースリング、セミヨンが、ヨーロッパ系の古典的な品種が世界のさまざまな産地で栽培されています。
また、スペインで主に栽培されているテンプラニーリョ、イタリアで主に栽培されているサンジョベーゼ、ネッビオーロ、ピノ・グリ、ドイツなどの冷涼な産地を中心に栽培されているゲヴュルツトラミネール、その他、ピノタージュ、ミュスカ、ムールヴェードル、ヴィオニエなども、ニューワールドを中心に栽培を拡大しています。

■赤ワインに使われる主なブドウ品種

■カベルネ・ソーヴィニヨン
世界最大の栽培面積を誇る黒ブドウ品種です。
原産地であるフランス・ボルドー地方では帝王ともいえる黒ブドウ品種で、ボルドーの5大シャトーと呼ばれる1級格付けシャトーのワインもほとんどがこのカベルネ・ソーヴィニヨン主体で造られます。
アメリカでは、オーパスワン、スクリーミング・イーグルといったカルトワインに使われ、イタリアではサッシカイアなどのスーパータスカンに使われる世界でも偉大なワインを生み出す品種です。
小さな粒で果肉がほとんどないくらい厚めの皮と大きな種があり、皮が厚い分ワインにすると色が濃くタンニンが豊富で、しっかりと骨格のある味わいに仕上がります。
カシスやブラックベリーなどの黒系の果実を思わせる凝縮した果実味と、タバコ、杉などの複雑なブーケを開花させ、酸もタンニンも強めで、ガッチリとした構造を感じる味わいです。
■ピノ・ノワール
フランスで、ボルドーに並ぶワインの銘醸地ブルゴーニュで造られる赤ワインのほとんどが、このピノ・ノワールから造られています。
果皮が薄く、早熟なブドウで、病気にも弱いことから、他の品種に比べて栽培も醸造も非常に難しいとされ、かつては「ブルゴーニュ以外では栽培できない」と言われていましたが、近年では世界中で栽培される国際品種の1つとなり、アメリカのオレゴン州のピノ・ノワールが注目を集めています。
イチゴやチェリーのような香りに、酸とタンニンのバランスが良く、エレガントで官能的な味わいのワインになるのが特徴ですが、産地によってさまざまな味わいに変化するのもこの品種の面白いところ。
ブルゴーニュのピノ・ノワールと言えば、その希少性から100万円を超える値がつくロマネ・コンティが有名です。
■メルロ
カベルネ・ソーヴィニヨンと栽培面積でトップの座を争うポピュラーな黒ブドウ品種の1つです。
フランスの中でも銘醸地として名高いのがボルドー地方で、右岸地域のポムロルやサン・テミリオンで造られるメルロからは、世界最高峰のワインが生み出されています。
プラムやブラックチェリーのような香りがします。
カベルネ・ソーヴィニヨンと比べると、タンニンや酸味が穏やかで、やさしい味わいが特徴です。
メルロと言えば、世界的ワイン評論家のロバート・パーカー氏から「神話の象徴」とも評されたワイン、シャトー・ペトリュスが有名です。
ボルドー右岸のポムロル地区に位置するシャトー・ペトリュスは、格付けもない右岸のポムロル地区で造られるワインですが、わずか1000年の間に、5大シャトーを凌ぐ高値で取引されるようになった伝説的ワインです。
■シラー
フランスのローヌ地方では、力強く品のあるそして、特にスパイシーな香りが特徴のワインを造ります。
またフランスではローヌ地方以外でも、南仏一帯の南部では、ブレンド用のブドウ品種として重要とされており、ワインにしっかりとした骨格と味わい、熟成能力を与える品種としても使用されています。
ボルドーのカベルネ・ソーヴィニョン、ブルゴーニュのピノ・ノワールと並び、長期熟成タイプの偉大なブドウ品種の一つです。
フランス以外で有名な産地ではオーストラリアです。
オーストラリアでは「シラーズ」と呼ばれ、果実味の豊富でパワフルなアルコール度数の高い凝縮した味わいの赤ワインを造ります。
他にも、南米チリやアルゼンチン、またアメリカやニュージーランド、南アフリカでも広く造られています。

■白ワインに使われる主なブドウ品種

■シャルドネ
白ブドウ界のトップスターで、造られるワインは白ワインの女王と称され、ブルゴーニュ地方で偉大な辛口白ワインを生み出す品種です。
世界で幅広く栽培されており、地域、テロワール、造り手によって七変化する品種でもあり、冷涼な土地ではミネラル感豊かなキリっとしたものになり、暖かい土地では、熟れた果実のようなコクのある仕上がりになります。
リンゴ、洋ナシ、アーモンド、バター、ヘーゼルナッツ、バニラ、トーストなどのアロマがあります。
シャルドネから造られる代表的なワインは、フランス・ブルゴーニュ地方のモンラッシェ、シャブリ、ムルソーです。
■ソーヴィニヨン・ブラン
フランスのロワール地方のサンセールとボルドー地方で有名になり、ニュージーランド、イタリアのフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州、オーストリアのシュタイアーマルク州が主な産地です。
グレープフルーツのような柑橘系にハーブを加えたようなさわやかな香りが特徴で、冷涼な土地だと辛口で酸味がきつくなり、暖かい土地ではトロピカルフルーツのような香りになります。
とくに、ニュージーランドのソーヴィニヨン・ブランは、1980年代ワイン・コンペティションで最優秀賞をとったのをきっかけに世界的に評価を受ける様になりました。
中でも南島のマールボローでは、ニュージーランド全体の67%のブドウ畑があり国内最大の栽培面積を有しています。
そして、そのうちの78%でソーヴィニヨン・ブランが栽培されており、ソーヴィニヨン・ブランの世界的産地として有名です。
ここで造られるソーヴィニヨン・ブランは、パッションフルーツやグアバなどのトロピカルフルーツの風味があり、ニュージーランドならではの素晴らしいソーヴィニヨン・ブランが味わえます。
■リースリング
リースリングの栽培面積の半分はドイツが占めており、モーゼルとラインガウがリースリングの2大産地として有名です。
その他、フランス・アルザス地方、オーストリア、オーストラリア、アメリカ・ワシントン州とニューヨーク州などの比較的冷涼な産地で栽培されています。
リースリングは、栽培される環境が限られ気難しい品種ですが、高級白ワインを生み出す高貴白品種としても知られています。
またテロワールの影響を大きく受けるため、産地によってその味わいはかなり異なり、青りんごや洋ナシ、トロピカルフルーツなどのアロマを持つフルーティーなものから、鉱物のようなアロマをもつミネラルを強く感じるものまでさまざまです。

■「甘口ワイン(デザートワイン)」と「辛口ワイン」

発酵によってぶどう由来の糖分がアルコールに変わりますが、この糖分がアルコールに変わる程度によって、辛口、甘口が決まります。糖分をほとんどアルコールに変えてしまえば辛口のワインになり、糖分の一部しかアルコールに変わっていないうちに発酵を止めてしまえば、糖分が十分残った甘口のワインになります。そのため、辛口の方がアルコールが高くなり、甘口の方はアルコールが低くなる傾向にあります。また、甘口ワインの造り方にはいくつかあります。ワインの「辛口」とは、「甘味が控えめ」「甘味がほとんどない」という意味で用いられています。 香辛料の辛さや、酸味だけを感じるタイプのワインを指しているのではありません。 一口に辛口といっても、非常に硬くシャープなものから、飲んだあとにわずかに甘味を感じるような豊かなコクを伴ったものまでいろいろです。
■貴腐ワイン
フランス・ボルドーのソーテルヌやドイツのトロッケンベーレンアウスレーゼが有名です。ある特定の環境下で、ぶどうの果皮に一種のカビが育成し、ぶどうから水分を奪うことで、ぶどうの成分が濃縮されます。このぶどうから得られる糖度の高い果汁を醸造します。貴腐ワインは、ウイスキーの熟成樽(ソーテルヌカスクを使用しているウイスキーも多い)にも関係がありますので、あとで触れます。
■アイスワイン
カナダやドイツが有名です。冬場、外気温が下がり、木になった状態で凍結したぶどうをすぐに搾ります。そうして得た通常より糖度の高い果汁を醸造します。ドイツ、カナダ、オーストリアの特定の地域で造られたもののみ「アイスワイン」と名乗ることが許可されています。寒い地域でブドウを栽培し、真冬になるまでブドウを収穫せずじっくりと熟すのを待ち、そのうち氷点下の寒さで凍ったブドウを手摘みします。太陽の出る日中は氷が溶けるので、なんと夜明けに収穫します。
■干しぶどうワイン(ストローワイン)
フランス・ジュラの藁(わら)ワインやイタリアのパシートが有名です。ぶどうを収穫後、風通しの良いところに一定期間置いて干しぶどう状にし、それから得られる糖度の高い果汁を醸造します。収穫したブドウを藁(straw)の上で乾かしてから造られるためこのように呼ばれるようになりました。現在は藁の上で干したブドウからだけでなく、吊るして干したブドウなどから造られたワインもストローワインと呼びます。乾燥して水分が蒸散した干しブドウは糖度が高いため、醸造すると通常のワインよりもアルコール度数が1~3%程度高くなり、赤ワインの場合でも白ワインの場合でも味わいは非常に濃厚で、長期熟成にも耐えうるワインとなります。主な生産地はフランス、イタリア、スペイン、オーストラリアです。
■遅摘みワイン
遅摘みワインというのは、時季を遅らせて収穫したブドウを使って造るワインのことです。ブドウは熟すにつれて糖度が上がっていきます。そのため、通常のタイミングよりも摘み取りを遅らせるだけでも、糖度の高いブドウを収穫できるのです。通常よりも遅い時期に摘んだ糖度の高いブドウを使って造るのがこのワインです。
■発酵停止ワイン(レイトハーヴェスト)
スペインの甘口のシェリーやポルトガルのポートワインなど酒精強化ワインが有名です。発酵の途中、目的の糖度に達した段階で発酵を停止し、糖分を残します。一般的な収穫時期よりも遅く収穫するか、収穫を遅らせる事で、ブドウの水分が減少し、糖度が上がります。どの位遅く摘めば、この名称を名乗れるかは、決まっていないようです。

■貴腐ワイン

「貴腐ブドウ」という極めて糖度の高いブドウを原料に造られた極甘口ワインで、デザートワインともいわれます。果実酒に分類されます。デザートワインには、ほかに「アイスワイン」、「ストローワイン(干しブドウワイン)」、「レイトハーヴェスト(遅摘みワイン)」を含めて4つの種類があります。アロマティックな甘口微発砲ワインでる「モスカート・ダスティ」や酒精強化ワインも含まれる場合もあります。
この「貴腐ブドウ」は、もとは一般的な辛口ワインに使用されているブドウと同じものなのですが、貴腐菌によって糖度を高くしたブドウです。その秘密は、ボトリティス・シネレア菌(貴腐菌)というブドウの果皮に感染するカビの一種にあります。この菌がブドウの果皮に付着すると、菌糸が侵入して果皮の組織が破壊されます。その後、日照が多く乾燥した天候が続くことでブドウ中の水分が蒸発していき、収穫時には糖分などのエキスが凝縮した貴腐ブドウへと変貌を遂げるのです。こうして糖度が高くなった貴腐ブドウを原料としているため、貴腐ワインは極甘口に仕上がります。
■貴腐ブドウができる条件
貴腐ブドウは、前述した通りボトリティス・シネレア菌が作用し糖度が高くなったブドウのことですが、この菌に感染すれば簡単にできるわけではありません。そもそも、ボトリティス・シネレア菌は果実や花弁、葉、茎などを腐敗させてしまう灰色カビ病として知られている菌です。つまり、本来ブドウにとっては有害な菌ですが、特定の条件を満たした場合にのみブドウを貴腐化させているのです。その条件は「朝に霧が発生して菌の生育に都合の良い温度や湿度状態になっていること」、「日中は晴天で乾燥し、水分の蒸発が進行すること」が重要だと言われています。さらに、これらの条件で少なくとも1ヶ月以上の日数が必要と言われており、この間に貴腐化するのに不都合な天候変化が起こると、ただの腐敗になってしまうことも多々あるようです。このように貴腐ブドウの生育条件は厳しく、自然環境に依存する部分が多いため、特定の産地やヴィンテージ(ここでは、特定の年に作られた良いもの、の意)にしか造られません。例えば、世界最高峰の貴腐ワインを生み出すシャトー・ディケムは、完璧さを維持するために不作のヴィンテージには貴腐ワインを生産しないことでも知られています。シャトーでは通常6週間以上かけて約200人もの摘み手が、ヴィンテージによって平均5~6回に分けて完全に熟したブドウのみを収穫。そうして厳しく選別されたブドウから造られたワインでも、樽熟成の段階でディケムとして世に出すにふさわしくないと判断されたものは生産量を減らしてでも容赦なく除きます。 間違いなくフランス貴腐ワインの最高峰といえます。このワインはその長命さでも愛好家を驚かせてきました。世界で最も影響力のあるワイン評論家ロバート・パーカー氏によると「飲み頃はヴィンテージによって100年も続く」とされ、その熟成ポテンシャルは計り知れないものがあります。また、シャトーでは辛口のディケム「Y(イグレック)」も生産しています。甘口ワインと同じ畑のブドウから生産されており、生産量は年間約1万本と希少なワインです。
■貴腐ワインが高価な理由
貴腐ワインは、他の甘口ワインに比べて高価な甘口ワインとして知られています。その理由は、前述したとおり、原料となる貴腐ブドウの生育が自然条件に依存するということもありますが、収穫や醸造も他のワインに比べ、何倍も手間をかけて行われているからです。特に収穫は、厳選して摘み取られ(場合によっては、同じ房の中でも部分的に収穫を何度も繰り返すことも)、選果も徹底して行われます。さらに、収穫したブドウは干しブドウ状になっているため、得られる果汁は極わずかです。前述のシャトー・ディケムでは、1本のブドウ樹からグラス1杯分のワインしか造らないと言われています。醸造中も、果汁糖度が非常に高く発酵がうまく進まないこともあるので気が抜けません。このような手間がかかるため貴腐ワインは比較的高価になっています。
■世界三大貴腐ワイン
①ソーテルヌ(フランス)
②トロッケンベーレンアウスレーゼ(ドイツ)
③トカイ・アスー(ハンガリー)

■甘味果実酒(フルーツワイン)

■日本の酒税法上の甘味果実酒(フルーツワイン)
日本における酒税法上の分類上、甘味を持つように製造された混成酒を指します。欧米では果実酒と同カテゴリーに分類され、広義のフルーツワインに含まれます。ハーブなどを加えたベルモットのように、必ずしも甘いとは限りません。
フルーツワインは、広義には葡萄以外の様々な原料成分から作られた酒全般を指します。果実、花、およびハーブから採取されたフレーバーを添加されたものを含みます。分類によってはビール以外の醸造酒全般を含むように解釈されることもあります。欧米などでは、歴史的な見地から(既に固有の酒として認知されているという意味で)、ミード(蜂蜜酒)、シードル(リンゴ酒)、ペリー(洋ナシ酒)はフルーツワインの定義から除外される場合があります。
■日本のウイスキー創業の黎明期を支えた日本の甘味果実酒
日本産のウイスキーが発売される前に、サントリーやニッカウヰスキーの経営基盤を支えた商品です。ウイスキーは、熟成期間が必要であることから、その期間は、収入がなく、先行投資になります。ウイスキーが発売されて、収入につながる前の、各社の経営を支えた商品です。いうなれば、今の日本のウイスキーがあるのは、これら甘味果実酒があったからといっても過言ではないと思います。
●赤玉スイートワイン(サントリー)
1907年(明治40年)4月に赤玉ポートワインとして販売開始され、1973年(昭和48年)に赤玉スイートワインに改称しました。総合洋酒メーカーとしてのサントリーの土台を築きあげた商品としてその名を知られています。サントリー大阪工場の玄関脇には鳥井信治郎の銅像が立っており、左手には赤玉ポートワインのボトルを掲げています。赤玉ポートワインという名称はポルトガルの港町であるポルトの英語読みであり、もともとポートワインとはポルト港から出荷される酒精強化ワインを意味していることから、ポルトガル政府に抗議されました。原産地名称保護制度に関するマドリッド協定に従い、1973年(昭和48年)に現在の名称である「赤玉スイートワイン」に改められました。
●ニッカアップルワイン(ニッカウヰスキー)
同社初の初号ニッカウヰスキーより2年早く、1938年(昭和13年)に販売開始されました。リンゴを原料に作られたワインとブランデーを混合しています。その後1960年にアサヒビールと提携した際、同社のシードル事業を引き受け1972年にニッカシードルを発売しています。ニッカウヰスキー創業者の「マッサン」こと竹鶴政孝がニッカウヰスキーの前身「大日本果汁株式会社」を設立したのが1934年、アップルワインは、その4年後の1938年に誕生しました。ニッカを感じで書くと「日果」、ニッカウヰスキーの前身は「大日本果汁株式会社」です。その名の由来は、ウイスキーが熟成し、販売できるようになるまでリンゴジュースなどを造っていたためです。
●蜂印香竄葡萄酒(はちじるしこうざんぶどうしゅ)
サントリーの赤玉ポートワイン(発売当時の名前)やニッカウヰスキーのニッカアップルワインよりも、20年以上も前に発売がされて、大成功を収めていたという意味では、日本の洋酒の製造販売の先駆けかもしれません。神谷傅兵衛の成功を模倣して、鳥井商店(現在のサントリー)など、様々な人々や会社が合成洋酒の世界に参入したようです。そういう意味では、大切な商品かもしれません。また、明治13年(1880年)には、神谷傅兵衛が浅草区花川戸町四番地にて、「みかはや銘酒店」を開業し、酒の一杯売りを始めます。日本初のバー、最古のバーの始まりです。1912年(明治45年)に屋号を「神谷バー」へ改めます。現在の建物は、「浅草1丁目1番地の1」において、1921年(大正10年)に落成しました。国に登録された有形文化財です。文化財の中でお酒と食事を楽しむことができる、浅草でも屈指の観光スポットです。現在の場所へ、鉄筋コンクリート造で建築したのち、1923年の関東大震災や1945年の東京大空襲にも見舞われましたが、倒壊も全焼もすることなく、今も当時の姿を残しています。当時は、煉瓦造りや木造がほとんどで、鉄筋コンクリート造の建物(明治後半以降から増えてくる)は少なかったようです。
「蜂印香竄葡萄酒(はちじるしこうざんぶどうしゅ)」は、1881年(明治14年)に、現在の「牛久シャトー(うしくシャトー、茨木県牛久市、2017年まではシャトーカミヤ、現在は、オエノングループ)」や「神谷バー」の創設者である神谷傳兵衛の「みかはや銘酒店」によって製造され、近藤利兵衛の近藤商店によって販売開始されました。「蜂印」という名称は、かつて傳兵衛が「Beehive(蜂の巣箱)」というフランス産ブランデーを扱ったことにちなんでいるようです。「香竄(こうざん)」とは父兵助の俳句の雅号(がごう)であり、親のご恩を忘れないためにと、この言葉のなかに「隠しても隠し切れない、豊かなかぐわしい香り(まるで樽のなかの卓越したワインのように)」という意味があることにちなんでいるそうです。輸入葡萄酒にハチミツや漢方薬を混和し、独特の甘味を持たせた日本人好みの「ほんのりとした甘みが特長」のアルコール分14%程度の甘味果実酒です。現在はハチブドー酒としてオエノングループの合同酒精株式会社で製造・販売されています。
ちなみに、これも、知る人ぞ知る「電気ブラン」(発売当初は電気ブランデーといった)は、1893(明治26)年頃に誕生しました。正確に開発、販売された年号は商標の登録もないことから特定出来ませんが、この頃といわれています。もともと薬用として売られていた輸入ブランデーに、日本人の口に合うように改良を加え、適度な甘さ、柔らかい口当り、そして豊かな香りを持ったアルコール度45度(当時)のカクテルです。ブランデー、ワイン、ジン、ベルモット、キュラソーなどがブレンドされており、フィーヌのコニャックにも似た柔らかく澄んだ琥珀色で、そのレシピは今もなお秘伝とされています。ちなみに、神谷傳兵衛の生まれは、愛知県西尾市です。

■ワインとウイスキーの熟成方法の違い

ウイスキーとワインでは、熟成の方法が異なります。
赤ワインの場合は、1年間~2年間程度、白ワインの場合は、数ヶ月間寝かせるのが一般的です。長期熟成型の高級ワインであっても、樽で寝かせる期間はおおよそ2年間で、それ以降はビンに入れて寝かせる段階に入ります。ワインは、樽の熟成期間が2年を過ぎると味が悪くなってしまう特徴があります。これにより、若いワインを購入して自宅にあるワインセラーでゆっくり寝かせる楽しみが生まれます。
一方でウイスキーなどの蒸留酒の場合は、ビンに入れた時から熟成が止まってしまいます。例えば、12年物のウイスキーは、樽で12年間熟成されてからビンに入れられたものです。そのため、ワインのように自宅で熟成を楽しめず、コレクション以上の価値はありません。ただ、ウイスキーは熟成年数が長い方が、高価な銘柄が多く、味わいも刺激がとれていき、まろやかで芳醇な味わいになることが多いので、人気があります。反面、数が少なく、価格が非常に高くなる傾向にあります。